ファン・バステンとクリンスマン、どちらが優れた点取り屋?

サッカーというスポーツで、誰もが最も注目するのは

「ゴールシーン」

でしょう。

サッカーの歴史には、素晴らしい才能を持ったストライカー、すなわち

「点取り屋」

が多数登場してきました。

その中でも、非常に興味深いキャリアを送った、二人の世界的ストライカーをご紹介します。

 

 

二人とも’80〜’90年代に大活躍!

一人は、元オランダ代表の

マルコ・ファン・バステン(Marco van Basten:1964年10月31日〜)。

もう一人は、元ドイツ代表の

ユルゲン・クリンスマン(Jürgen Klinsmann:1964年7月30日〜)。

海外サッカーファンの方なら、間違いなくご存知のはずです。

この二人は、1980年代〜1990年代後半に大活躍したストライカーです。

しかし二人を比較してみると、対照的なキャリアを歩んだことが分かります。

 

似ている部分もある!

まず、似ている所から挙げて行きましょう。

二人とも、1964年(昭和39年)生まれです。

体格は、ファン・バステンが身長188cm、体重80kg。

クリンスマンが身長181cm、体重73kg。

ファン・バステンの方が若干大柄ですが、二人ともストライカーとしては申し分ない体格です。

そして、オランダとドイツは国境を接した隣国です。

さらに、二人とも三つ以上の言語を操る

「マルチリンガル」

です。

ファン・バステンはオランダ語・英語・イタリア語を話し、ドイツ語もかなり話せるそうです(公の場では、話したことがないとか)。

クリンスマンはドイツ語・英語・イタリア語・フランス語を話し、アメリカ在住時代にスペイン語も学習したそうです。

似ているのはここら辺りまで。

二人ともプロサッカー選手としては、輝かしいキャリアを歩みました。

しかし、その歩みは大きく異なります。

まず、クラブでのキャリアを見て行きましょう。

 

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ファン・バステンは、アヤックスとミランで大活躍!

ファン・バステンは1981年〜1982年シーズンに、オランダの超名門

アヤックス・アムステルダム

でデビューしました。

デビュー3年目の1983年〜1984年シーズンから、4年連続でオランダ一部リーグの得点王に輝きました。

リーグ優勝も、3回果たしています(1981〜1982、1982〜1983、1984〜1985)。

そして、1987年〜1988年シーズンからはイタリアのこれまた超名門

ACミラン

でプレー。

ミランでは、イタリア一部リーグ「セリエA」で優勝3回(1987〜1988、1991〜1992、1992〜1993)。

リーグ得点王にも2回輝きました(1989〜1990、1991〜1992)。

そして、

欧州チャンピオンズカップ(現:欧州チャンピオンズリーグ)

も2回制覇(1988〜1989、1989〜1990)。

当時日本で行われていた、南米王者との一発勝負

インターコンチネンタルカップ(通称トヨタカップ)

も、1989年と1990年の2回制覇。

個人タイトルとしては、1988年、1989年、1992年の3回、

バロンドール(世界年間最優秀選手賞)

も受賞しています。

プロキャリアの中で、アヤックスとミランの2クラブでしかプレーしていません。

かかとの怪我により、1992年〜1993年シーズンの途中から長期欠場。

復帰が叶わぬまま、1994年〜1995年シーズン末に現役を引退。

 

クリンスマンは、4カ国を渡り歩いた!

クリンスマンは、1981年〜1982年シーズンにドイツのシュトゥットガルター・キッカーズでデビュー。

1984年〜1985シーズンに、同じドイツの名門

シュトゥットガルト

に移籍。

1988年〜1989年シーズンまで、5年間プレーしました。

1987年〜1988年シーズンには、19ゴールで得点王のタイトルを手にしました。

1989年〜1990年シーズンには、イタリアの超名門

インテル・ミラノ

に移籍。

3シーズンプレーし、ファン・バステンのミランとも対戦しました。

1992年〜1993年シーズンには、フランスの

ASモナコ

に移籍。

1994年〜1995年シーズンには、イングランドの

トッテナム・ホットスパー

でプレーし、ゴールを量産しましたが、わずか一年で退団。

1995年〜1996年シーズンには、ドイツ一の名門かつ強豪

バイエルン・ミュンヘン

に移籍。

2シーズン目の1996年〜1997年シーズンには、キャリア最初で最後のリーグ優勝を経験しました。

1997年〜1998年シーズンは、イタリアのサンプドリアへ移籍しましたが、監督と起用方法を巡って対立。

成績も振るわず、シーズン途中で古巣のトッテナムへ再び移籍。

このシーズン終了後、ワールドカップを最後に現役を引退。

ファン・バステンとは対照的に、17年間で4カ国7クラブを渡り歩きました。

ほとんどのクラブでゴールを量産しましたが、得点王は1回のみ。

リーグ優勝も1回。

欧州チャンピオンズカップ(あるいはリーグ)には無縁でした。

クラブでのキャリアで比較すれば、ファン・バステンの圧勝です。

 

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ファン・バステンは、代表ではあまり輝けず・・・。

しかし、代表選手としてのキャリアとなると、話は全く違ってきます。

ファン・バステンは、実はワールドカップには1回しか出場していません。

1986年メキシコ大会は、欧州予選のプレーオフでオランダ代表が敗れたため、不出場。

唯一出場した1990年イタリア大会では、ベスト16で敗退。

ファン・バステンは、ノーゴールに終わりました。

1994年アメリカ大会は、長期の故障欠場中にて、メンバーに選出されませんでした。

ヨーロッパ選手権(EURO)には2回出場。

1988年大会では、5ゴールを叩き出し得点王に。

チームの優勝に大いに貢献しました。

しかし、次の1992年大会ではノーゴールに終わり、チームも準決勝で敗退。

ワールドカップ通算0ゴール、EURO通算5ゴール

と、ファン・バステンには似つかわしくない結果となりました。

 

クリンスマンは、ワールドカップもEUROも制覇!

対するクリンスマンは、

ワールドカップに3回(1990年、1994年、1998年)

EUROに3回(1988年、1992年、1996年)

出場しました。

初出場の1990年イタリア大会では、4ゴールをあげて、優勝の立役者の一人となりました。

続く1994年アメリカ大会、1998年フランス大会では共にベスト8 止まり。

しかしアメリカで4ゴール、フランスで3ゴールを記録しました。

ヨーロッパ選手権でも、1988年1ゴール、1992年1ゴール、1996年3ゴール。

1996年のイングランド大会ではキャプテンを務め、チームは優勝。

アンリ・ドロネー杯(優勝トロフィー)を掲げました。

ワールドカップ通算11ゴール、EURO通算5ゴール。

代表でのキャリアでは、クリンスマンの圧勝です。

 

最後に・・・。

ファン・バステンとクリンスマンは、オランダとドイツが誇る名選手でした。

そんな彼らでも、クラブと代表の両方で頂点に輝きタイトルを獲ることは、叶わない夢でした。

人が羨むキャリアの持ち主でも、かなりの数の敗北を、苦く噛み締めてきたことが分かります。

人間、死ぬまで勝ち続けることは無理ということです・・・。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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