2022年(令和4年)11月20日(日)に開幕する
「FIFAワールドカップ カタール2022」
は、サッカーファンだけでなく、多くの人の関心を集めるイベントです。
日本代表は、グループリーグでグループEに入りました。
第1戦でドイツ(W杯優勝4回)
第2戦でコスタリカ
第3戦でスペイン(W杯優勝1回)
と対戦します。
くじ運が悪かったと言うしかありません・・・。
日本代表が
「ジャイアントキリング」
すなわち大番狂わせを起こしてくれることを期待します。
ドイツの守護神は、代表でもクラブでも世界一に!
初戦の相手ドイツの正ゴールキーパー(GK)は、
マヌエル・ノイアー(Manuel Peter Neuer:1986年3月27日〜)。
シャルケ04在籍時には、内田篤人さんとチームメイトでした。
2011年〜2012年シーズンに、ドイツ一の名門
バイエルン・ミュンヘン
に移籍しました。
以降12シーズン近くにわたり、バイエルンの守護神として君臨。
2013年と2020年には、欧州チャンピオンズリーグで優勝を経験しました。
2009年には、ドイツ代表デビュー。
翌2010年の南アフリカW杯では、早速正GKとしてプレイ。
2014年のブラジルW杯では、4回目の優勝に大いに貢献。
2018年のロシア大会に続き、今回は自身4回目のW杯出場となります。
ノイアーより先に、守護神になるはずだった選手が・・・。
ノイアーは、オリヴァー・カーンやイェンス・レーマンといった名GKの跡を継いで、ドイツ代表の守護神になりました。
しかし、もしある一人のGKの運命が暗転しなければ、ノイアーの正GK確保はかなり先になっていたかもしれません。
皆様は、
ティモ・ヒルデブラント
という名前をご存知でしょうか?
2000年代初〜中盤に、シュトゥットガルトで大活躍!
ティモ・ヒルデブラント(Timo Hildebrand:1979年4月5日〜)
は、ドイツ人GKでした。
1995年にシュトゥットガルトに入団。
1999年に、トップチームに昇格します。
2001年〜2002年シーズンより、正GKとなりました。
当時のフェリックス・マガト監督(長谷部誠さんや内田さんを指導)の下、FWのケヴィン・クラーニイらの若手有望株と共に、ヒルデブラントも才能を開花させました。
2002年〜2003年シーズンには、リーグ2位の立役者の一人となりました。
監督が替わっても、ヒルデブラントはゴールマウスを守り続けました。
2006年〜2007年シーズンには、ついにブンデスリーガ優勝を成し遂げました。
ドイツ代表にも2004年にデビュー。
2006年の自国開催ドイツW杯には、レーマン、カーンに次ぐ第3GKとして参加。
2006年〜2007年シーズン終了後、リーグタイトルを置き土産に、ヒルデブラントはシュトゥットガルトを離れました。
満を持してステップアップしたはずが・・・。
ヒルデブラントが新天地に選んだのは、スペインの名門
ヴァレンシア(Valencia CF)。
ステップアップの舞台として、申し分ないように思えました。
ところがこの移籍が、ヒルデブラントのキャリアを、大きく狂わせてしまったのです・・・。
シーズン序盤に、成績不振で監督交代!
2007年〜2008年シーズンが開幕して、2ヶ月ほどした頃。
キケ・フローレス監督が、成績不振を理由に解任されました。
後任として、当時オランダのPSVアイントホーフェンで監督を務めていた
ロナルト・クーマン(Ronald Koeman:1963年3月21日〜)
が、契約を解除して途中就任。
クーマンは元オランダ代表DF。
PSV(1988年)
バルセロナ(1992年)
で、欧州チャンピオンズカップ(現:チャンピオンズリーグ)優勝を経験しています。
監督としても、アヤックス(オランダ)やベンフィカ(ポルトガル)、PSVなどで実績を積んできました。
新監督が、主力選手3人を戦力外に!
新しい監督は、チーム内で大きな影響力を持つ選手の心を掴み、助けを借りながらチームを掌握していくのが常道です。
しかしクーマンは就任早々、長年クラブに貢献してきた
ダヴィド・アルベルダ
サンティアゴ・カニサレス
ミゲル・アンヘル・アングロ
の3選手を、戦力外としてしまったのです。
確かに、チームの若返りは必要でした。
しかし、クラブの顔だったベテランに対しては、
一定の出場機会を与える
若手のお目付け役を任せる
など、プライドを傷つけない処遇をするべきでした。
チームは大混乱!裏に会長の圧力?
当然ながら、3選手は猛反発。
他の選手たちも3人に同情し、クーマン監督やフロントに不満・不信感を抱くようになってしまいました。
結果、チームは大混乱に陥りました。
当時のサッカー専門誌によると、当時のフアン・ソレール会長は、クラブ内で発言力の強い3人を快く思っていなかったそうです。
そこで、クーマン監督に3人を戦力外にするよう、圧力をかけていたのではないかと、疑惑が持ち上がっていました。
サポートなし、言葉の壁、戦術の変更・・・全てが噛み合わず!
こうした状況下で、新加入の外国人選手であるヒルデブラントは、クラブやチームメイトから十分なサポートを得られませんでした。
そして、言葉の壁も大きな問題となりました。
GKには、DFの選手との緊密な連携が求められます。
言葉が最も重要視されるポジションです。
外国人選手が当たり前の欧州リーグでも、多くのクラブで
正GKだけは自国の選手
となっています。
ドイツ人のヒルデブラントにとって、スペイン語は当然外国語です。
移籍1年目は、ほとんどの外国人選手が言葉の習得に苦労します。
ヒルデブラントも、スペイン語でチームメイトとコミュニケーションを取るのに、かなり苦労したはずです。
またクーマン監督の戦術も、ヴァレンシアの今までの戦術とは、大きく異なっていました。
そのため、DFの選手たちも順応に戸惑っていたようです。
もう、ヒルデブラント個人の力だけではどうにもなりません。
堅い守備が売りだったヴァレンシアの守備は崩壊。
シーズン終盤には、クーマン監督も解任されました。
チームは、2部降格スレスレの15位でシーズンを終えました。
以降、流浪の日々が続き・・・。
翌2008年〜2009年シーズン、ヒルデブラントは正GKを外され、控えの座に甘んじることに。
2008年12月、ヒルデブラントはヴァレンシアとの契約を解除。
母国ドイツのホッフェンハイムへと移籍しました。
2010年〜2011年シーズンには、ポルトガルの名門スポルティング・リスボンに移籍。
しかしリーグ戦では2試合しか出場できず、わずか1シーズンで退団。
しばらく無所属の後、2011年〜2012年シーズンの開幕後に、ドイツのシャルケ04に移籍。
内田篤人さんとチームメイトになりました。
2014年〜2015年シーズンには、同じくドイツのアイントラハト・フランクフルトに移籍。
ここでは、長谷部誠さんとチームメイトに。
日本人選手と縁のある人でした。
しかし、リーグ戦ではわずか3試合の出場に留まり、1シーズンで退団。
その後は無所属のまま、2016年3月に現役引退を発表。
37歳の誕生日間近でした・・・。
最後に・・・。
英語の慣用句に
「be in the right place at the right time」
という言葉があります。
「正しい時に正しい場所にいる」
というのが直訳です。
ティモ・ヒルデブラントのキャリアを辿って行くと、この言葉の意味を実感できます。
ヒルデブラントの場合、移籍のタイミングとしては
「正しい時」
でした。
しかし、移籍先が
「正しい場所」
ではなかったのです。
もし移籍を1年延ばすか、ヴァレンシアとは違うクラブに移籍していれば、彼のキャリアは全く違ったものになっていたかもしれません。
そして、
「正しい場所」
として、ドイツ代表の正GKの座を手にしていたかもしれません。
スポーツ選手だけでなく、私を含む一般人にも
「正しい時に正しい場所にいる」
ことは、人生の進路を左右する重要な要素だと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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