二つの大番狂わせを起こした監督、オットー・レーハーゲル!

近代のプロスポーツ、特に団体競技では、勝利に必要な要素のトップはズバリ

「金」

です。

オブラートに包んで言えば、

「資金力」

です。

野球やサッカーなどでは、優れた選手を多数獲得し、引き留めておける金持ち球団・クラブが、高確率で優勝します。

一般大衆の娯楽のはずのスポーツも、資本主義の原理に支配されています。

 

 

『番狂わせ』はスポーツの醍醐味の一つ!

スポーツの世界では、よく

「番狂わせ」

という言葉が使われます。

「アップセット」(upset)

も同様です。

サッカーでは、近年

「ジャイアントキリング」(giant killing)

という言葉が多用されます。

下位のクラブが、優勝争いをする強豪クラブを打ち負かすということです。

サッカーに限らず、

弱者が強者を倒す

場面は、スポーツの醍醐味の一つです。

 

滅多に起こらないのが『番狂わせ』・・・。

しかし、頻繁には起こらないから「番狂わせ」であり、価値があります。

ヨーロッパの主要サッカーリーグでは、優勝争いをするクラブは毎シーズン限られており、もう賭けも成立しないのでは?とさえ感じます。

選手だけでなく監督も、優秀な人材はことごとく、金持ち強豪クラブに引き抜かれるのが常です。

 

大舞台で『大番狂わせ』を二度起こした監督!

そんな「番狂わせ」を、ドイツ1部リーグと国際大会という、二つの大舞台で起こした監督がいます。

それも、一試合というレベルではありません。

ドイツ人の元サッカー監督、

オットー・レーハーゲル(Otto Rehhagel:1938年8月9日〜)

2022年4月現在、83歳です。

若い世代のサッカーファンには、馴染みのない名前でしょう。

 

スポンサードリンク

 

日本人選手が活躍した、あのクラブを14年指揮!

ドイツ、エッセン出身のレーハーゲルは、元々プロサッカー選手でした。

1972年の現役引退後、1974年〜1975年シーズンに監督としてデビューしました。

いくつかのクラブで指揮を執った後、1981年〜1982年シーズンにドイツ・ブンデスリーガ1部のクラブ

ヴェルダー・ブレーメン(Werder Bremen)

の監督に就任。

その際、自らの希望で日本人初のプロサッカー選手

奥寺康彦さん(既にドイツでプレーしていた)

を獲得。

1985年〜1986年シーズンまで、奥寺さんを重用したことは有名です。

1987年〜1988年シーズンには、ついにブレーメンにブンデスリーガ優勝をもたらしました。

1992年〜1993年シーズンにも優勝。

国内カップ戦のDFBポカール(別名ドイツカップ)でも、1990年〜1991年シーズン、1993年〜1994年シーズンの2回優勝。

1991年〜1992年シーズンには、UEFAカップウィナーズカップで、フランスのASモナコを破り優勝。

14年間にわたりブレーメンを率い、様々なタイトルを手にしました。

 

ドイツ一の名門クラブを率いたが・・・。

その後、1995年〜1996年シーズンには、ドイツ一の強豪クラブ

バイエルン・ミュンヘン(Bayern München)

の監督に就任しました。

ドイツ人監督なら、誰もが憧れる地位です。

しかし、ミュンヘンではレーハーゲルは挫折を味わいました。

ローター・マテウスやユルゲン・クリンスマンらのスター選手と、練習方法や戦術などを巡って対立。

クラブ首脳陣との関係も悪化。

シーズン終盤、UEFAカップ(現:UEFAヨーロッパリーグ)決勝の直前に、退任を余儀なくされました。

皮肉なことに、バイエルンはフランスのボルドー(ジネディーヌ・ジダンがいました)を破って優勝しました。

しかし、リーグ優勝は逃してしまいました。

 

スポンサードリンク

 

2部のクラブを1年で1部へ昇格させ、そして・・・。

翌1996年〜1997年シーズン、レーハーゲルは

1. FC カイザースラウテルン(1.FC Kaiserslautern:以下ラウテルン)

の監督に就任しました。

ラウテルンは古豪でしたが、前シーズン末に2部に降格してしまいました。

レーハーゲルにとっては、はっきり言って

「都落ち」

です。

しかし、わずか1シーズンでラウテルンを1部に復帰させました。

その手腕には、さすがと言う他ありません。

ただ、次の1997年〜1998年シーズンに、レーハーゲルは最初の

「大番狂わせ」

を起こしました。

何と、バイエルンやボルシア・ドルトムント(Borussia Dortmund)といった本命に競り勝ち、

ブンデスリーガ1部で優勝

してしまったのです。

2部から昇格してきたクラブが、そのシーズンに1部で優勝するのは、前代未聞のことでした。

誰一人予想しなかった「大番狂わせ」です。

 

サッカー小国の代表監督として、新たな挑戦に!

1999年〜2000年シーズンまでラウテルンの指揮を執った後、レーハーゲルは新天地を求めました。

2001年に、ギリシャ代表監督に就任したのです。

ギリシャはその時点で、ワールドカップでは1勝も挙げたことがありませんでした。

ヨーロッパ選手権(EURO)も、1980年を最後に、本戦には出場できていませんでした。

レーハーゲルの指導の下、ギリシャ代表は2004年の

「EURO2004」ポルトガル大会

に本戦出場を果たしました。

 

スポンサードリンク

 

優勝候補の開催国と開幕戦で・・・。

そして、この大会でもレーハーゲルは

「大番狂わせ」

を起こしました。

開催国のポルトガルは、大スターのルイス・フィーゴや新星クリスチアーノ・ロナウドらを擁していました。

監督は、2002年日韓ワールドカップでブラジルを優勝に導いた名将、ルイス・フェリペ・スコラーリ。

ポルトガルは、優勝候補の本命でした。

ギリシャ代表は、そのポルトガルと同じグループAに入りました。

そしてグループリーグの第一戦、開幕戦でポルトガルと対戦することとなりました・・・。

 

強豪国を倒して勝ち進み、決勝戦で再び・・・。

ところが、ギリシャは何と2―1で、ポルトガルに勝ってしまいました・・・。

グループリーグをポルトガルに次ぐ2位で通過したギリシャは、決勝トーナメントでも勢いが落ちませんでした。

準々決勝ではフランスに1―0、準決勝ではチェコに1―0で勝利。

決勝に進出した時点で、既に大番狂わせです。

対戦相手は、開幕戦で破った開催国ポルトガル。

まさに四面楚歌、「100%アウェー」です。

ところが、この試合でもギリシャはポルトガルを1―0で下し、

EURO初優勝

を成し遂げてしまいました。

当時のサッカー専門誌でも、

「番狂わせ」

の文字が躍っていました。

 

最後に・・・。

ギリシャ代表はその後、2006年のドイツ・ワールドカップ本大会には、出場を逃しました。

2008年のEURO2008本大会には出場。

そして、2010年の南アフリカ・ワールドカップ本大会にも出場。

ワールドカップ初勝利を挙げましたが、グループリーグ敗退。

レーハーゲルは代表監督を辞任しました。

レーハーゲルは本国ドイツでは、

「頑固で独裁的」

「戦術や練習が古臭く、時代遅れ」

などと批判されることも多々ありました。

しかし、限られた戦力を上手にやりくりし、数々の結果を残した手腕には、文句の付けようがありません。

2022年のカタール・ワールドカップでは、日本はドイツやスペインといった優勝経験国と、同じグループに入ってしまいました。

日本代表にも、世界中を驚かせる「大番狂わせ」を起こして欲しいものです・・・。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。