「歴史ファン」
を名乗る人は多数います。
近年は、若い女性の歴史ファン
「歴女」
も増加しています。
そうした歴史ファンの中でも、男女問わず多いのが
「幕末ファン」
です。
幕末の人物を尊敬する人は多い!
徳川幕府を打倒し、天皇中心の政権を目指す
「勤王派」、
徳川幕府の政治体制を保とうとする
「佐幕派」
が激しく対立したこの時代は、確かに面白いです。
勤王派、佐幕派共に大人物が多数現れ、そうした歴史上の人物を尊敬する人も多いです。
旧土佐藩と言えば、やはりあの人!
皆様も当然ご存知の通り、勤王派が勝利を収め、
「明治維新」
へと繋がりました。
主要な役割を果たした藩は、
薩摩藩・長州藩・土佐藩
でした。
旧土佐藩で幕末に活躍した人物と言えば、やはり最初に名前が挙がるのが
坂本龍馬(竜馬)
でしょう。
高知県には
「坂本龍馬記念館」
があり、空港の名称も
「高知龍馬空港」
となっています。
板垣退助よりも出世した人物とは?
続いては、龍馬の盟友で薩長同盟成立にも尽力した
中岡慎太郎
でしょう。
他には、後藤象二郎や板垣退助が挙がるはずです。
維新目前にこの世を去った龍馬と中岡は別にして、後藤と板垣は新政府でも初期は要職に就きました。
特に板垣は、自由民権運動を経て後に政権中枢まで上り詰めました(2回内務大臣を務めた)。
しかし厳密に言えば、旧土佐藩で最も出世したのは板垣ではありません。
田中光顕(たなか みつあき)
です。
教科書に太文字で載ることはないが・・・。
「田中光顕って誰?」
幕末ファンの方々にも、このようにお考えの方は結構いらっしゃるはずです。
日本史の教科書に、太文字で書かれるような人物ではありません。
ですが、彼の経歴を辿って行くと、旧土佐藩の誰よりも明治政府内で出世したことが分かります。
田舎の下級武士の家に生まれて・・・。
田中光顕は、1843年(天保14年)に土佐藩高岡郡の佐川村という所で生まれました。
土佐藩では、武士の中でも
「上士」
「下士」
という身分格差がありました。
田中は当時
「浜田辰弥」
という名前でしたが、下士の家柄でした。
と言っても、実質的には農民と変わらない生活だったそうです。
10代後半に高知城下へとやって来ます。
藩の屋敷に住み込み、
武市半平太(後の瑞山。土佐勤王党の首領)
の道場に通い、剣術修行をしていました。
藩の弾圧を逃れ脱藩。長州へ逃げ、倒幕運動の最前線に!
武市が土佐藩の藩論を
「勤王倒幕」
にすべく立ち上げた
「土佐勤王党」(坂本龍馬、中岡慎太郎らも加盟)
に、田中も加わります。
しかし、藩からは厳しい弾圧を受けました。
そこで、1864年(元治元年)8月に同志数人と共に脱藩しました。
この際に
「田中顕助」
と改名したそうです。
長州藩へと逃げ延び、匿われました。
その後は、
高杉晋作
桂小五郎(後の木戸孝允)
伊藤俊輔(後の伊藤博文)
ら長州藩の中心人物らと共に、倒幕運動に奔走。
幕府の捕り手や、あの「新選組」の追跡をかわしてきました。
同じ土佐藩出身の中岡慎太郎の
「陸援隊」
にも参加し、中岡の死後は陸援隊を引き継ぎました。
明治新政府では、宮内大臣にまで出世!
維新後は、兵庫県知事を務めていた伊藤俊輔の計らいで、兵庫県権判事(今で言う書記官)に就きました。
これを皮切りに、明治新政府でのキャリアが始まりました。
岩倉使節団の随員として、欧州を視察。
そして、陸軍省会計局長や陸軍少将も務めました。
長州閥が陸軍を仕切っていたのですが、田中が長州閥と繋がりが深かった影響もあったのでしょう。
他に、元老院議官や警視総監を歴任。
1898年(明治31年)からは11年にわたり、
宮内大臣
の地位に就いていました。
総理大臣や外務大臣、大蔵大臣などの目立つポストには縁がありませんでした。
しかし、皇室の「影の支配者」とも言うべき、大きな権力を握ったのでした。
伯爵の爵位も得ました。
1939年(昭和14年)に95歳で逝去。
人気マンガではほんの端役だったが・・・。
ここまで書いてきたキャリアを見れば、田中光顕が
「最も出世した旧土佐藩士」
であるという表現は、全く大袈裟ではありません。
私が田中光顕を初めて知ったのは、大ヒットマンガ
「お〜い!竜馬」(原作:武田鉄矢、画:小山ゆう)
を読んでいた時でした。
ほんの少しだけ登場して、セリフもなかったかと思います。
しかし、田中が幕末の動乱を生き延びた、数少ない元・土佐勤王党員だったことが語られており、印象に残りました。
そのしばらく後に、新聞の書評欄で田中を題材にした本が紹介されていて、思い出した程度でした。
それからさらに年月が経った2021年(令和3年)。
Amazonで購入した
「日本の本当の黒幕」(鬼塚英昭 著:成甲書房)
の主役が田中だったのには、驚きました。
その後、田中本人の著書
「最後の志士が語る 維新風雲回顧録」(河出文庫)
も買って読みました。
最後に・・・。
田中光顕の人生を、本を読んで辿って行く中で、次のようなことを考えました。
「主役としてデカい事を成し遂げ、若くしてパッと散る」
人生がいいのか、
「脇役として地味にコツコツやり、長生きして人生を楽しむ」
人生がいいのか、ということです。
私個人は、今までの人生が
「脇役一筋50年」
と表現できます。
田中光顕とは違い、政界や官界、皇室や爵位とも無縁です。
それでも、浮き沈みだらけの波乱万丈の人生ではないので、まあ良しとすべきでしょうか・・・。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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