日本では、今年は
「令和」3年
「西暦」2021年
と表現されるのが一般的です。
行政関連の文書や裁判所の作成する文書は、「元号」を用いることとなっています。
毎年のカレンダーや手帳でも、大抵は元号と西暦のどちらか、あるいは両方が並記されています。
もう一つの紀元が戦前まで使われていた!
私も含めて、元号と西暦以外の年月日表示がされている書類は一度も見たことがない、という方が現在の日本では大多数です。
しかし、第二次世界大戦後の昭和23年(西暦1948年)まで
「皇紀」(こうき)
という紀元が公的に使われていました。
そもそも皇紀とは、一体何なのでしょうか?
明治維新後に、新政府によって制定された!
皇紀とは、
「神武天皇即位の年とされる、西暦紀元前660年(660BC)を元年と定めた、日本独自の紀元」
です。
正式名称は
「神武天皇即位紀元」。
明治維新後の明治5年(1872年)に、明治新政府によって制定されました。
神武天皇は日本の初代天皇とされているものの、現在の日本の歴史学においては
「神話や伝説上の人物」
という位置付けです。
明治新政府は、「大政奉還」や「王政復古の大号令」に基づき、徳川幕府を打倒して発足した政府です。
「天皇を頂点」とする国づくりを進めましたが、新政府の正当性を強調する必要もありました。
そうした思惑などが絡み、「皇紀」が制定されました。
その後、第二次世界大戦での敗戦を受け、神武天皇即位の日とされる
2月11日(紀元節)
の廃止に伴い、皇紀は廃止されました。
大人になってから、ある本で皇紀を知った!
私自身は不勉強だったので、大人になっても皇紀については全く知りませんでした。
ところが今から約15年ほど前、ある本を読んでいて皇紀に関する記述を見つけ、初めて皇紀の存在を知りました。
三重県伊勢市にある私立大学
皇學館大学(こうがっかんだいがく)
は、神社本庁の神職(平たく言えば神社の神主)の養成を主とする大学です。
この大学は日本で唯一
卒業証書の日付を「皇紀○○年」と表記する
そうです。
周囲の人に尋ねると、ほとんどは知らなかったが・・・。
そうした記述を読んで、印象に強く残ったので、周囲の人たちに
「皇紀ってご存知ですか?」
と尋ねてみました。
ほとんどの人は、存在自体を知りませんでした。
中には
「皇紀?知ってるよ。」
という人も少数ながら存在しました。
しかし、
「君、よく皇紀のこと知ってたね。右寄りの人?」
と返される場合があり、驚いてしまいました。
調べてみると、現在「皇紀」は、復古主義や戦争美化を想起させる言葉として捉えられることが多く、「教育勅語」と同様の
「あまり公に話題にしない方がいい」
言葉だったのです・・・。
最後に・・・。
そう言えば、皇紀を知っていると答えてくれた人たちは、
「軍事・ミリタリーオタク」
だったり、愛読誌が
「SAPIO(サピオ)」(小学館)
だったりという、「ライトウインガー」系の人でした・・・。
私は「右寄り?」と聞かれると必ず、笑いを取るつもりで
「アナーキスト(無政府主義者)です。」
と笑顔で答えていました・・・。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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