このブログでは、
「懐かしマンガ」(特に怪奇系)
の記事を10本ほど書いてきました。
その中で、つのだじろう先生の
「メギドの火」
「亡霊学級」
をご紹介しました。
今回ご紹介する作品は、つのだじろう先生の「メギドの火」です。つのだ先生と言えば、「恐怖新聞」や「うしろの百太郎」を始めとする、心霊をテーマとした作品が有名で、マンガ界の巨匠の一人です。今回の「メギドの火」は、UFOや宇宙人が[…]
こんにちは。husband(@kumafumoblog)です。つのだじろう先生と言えば、心霊・オカルトマンガ界の巨匠として有名です。代表作のうち「恐怖新聞」「うしろの百太郎」は、1970年代に日本で巻[…]
つのだ先生と言えば、心霊・オカルト系マンガの第一人者です。
『恐怖新聞』と『うしろの百太郎』は二大傑作!今も書店で購入可能!
代表作の中でも
「恐怖新聞」
「うしろの百太郎」
の二作品は、1970年代の小中学生(それより上の世代も)を震え上がらせた
「激コワ」
マンガの金字塔と言っても大げさではありません。
私は「恐怖新聞」については、1980年代初めの小学生の頃、親戚の家で初めて読みました。
全巻揃ってはいなかったので、結局全巻を読み切ったのは成人してからでした。
「うしろの百太郎」については、中学生の頃に書店で立ち読みし、全巻読破しました(書店の方々、スイマセンでした・・・)。
21世紀に入っても、この二大作品は漫画文庫という形で、一般書店でも購入できました。
現在も、紙媒体及び電子書籍で読むことができます。
どちらも週刊マンガ誌連載だったが・・・。
両作品の詳細については、このブログであれこれ説明するまでもありません。
ただ私が驚いたのは、何とこの二作品は
「ほぼ同時期に連載されていた」
という点です。
「恐怖新聞」は、
「週刊少年チャンピオン」(秋田書店刊)で
1973年(昭和48年)37号~1975年(昭和50年)34号まで、約2年間連載されました。
週刊マンガ誌に連載を持つことは、マンガ家にとっては大きなチャンスであり、ステータスでもあります。
しかし一方で、締切までのスケジュールも非常に厳しいそうです。
マンガファンの方々はよくご存知でしょう。
「恐怖新聞」一本だけでも、つのだ先生の負担は大きかったはずです。
にもかかわらず、「恐怖新聞」の連載開始からまだ間もない1973年末に、つのだ先生は
「週刊少マガジン」(講談社刊)に
「うしろの百太郎」(1973年(昭和48年)12月2日号~1976年(昭和51年)1月4日号)の連載もスタートさせたのです。
週刊マンガ誌二誌に連載・・・21世紀の現在ではありえない話でしょう。
執筆のハードさは想像もつかず!ところが・・・。
両作とも、画風は劇画調で描き込みも細かいので、時間もかかったでしょう。
このスタイルの作品を毎週二本仕上げるのは、想像もつかないハードさだったはずです。
両作とも心霊ものではありましたが、ストーリーは全く異なります。
毎回の話を考えるだけでも、一苦労だったでしょう。
この時期、つのだ先生やアシスタントさんたちは、毎日どんな生活を送られていたのでしょうか?
しかし、Wikipediaや他のネット記事を見ていて、ある事に気付きました。
つのだ先生が途中まで作画を担当なさっていた
「空手バカ一代」
(原作は梶原一騎先生。週刊少年マガジン連載、1971年~1973年途中までつのだ先生作画)
と同時期に、週刊少年チャンピオンで
「泣くな!十円」
も連載なさっていたのです・・・。
当時の人気マンガ家たちは、『超人』ばかりだった?
つのだ先生に限らず、当時の人気マンガ家には、週刊誌・月刊誌に複数の連載を抱え、かつ時々読み切り作品も発表するという
「超人」
たちが多かったのです。
つのだ先生の盟友たち、例えば藤子不二雄先生や石森(石ノ森)章太郎先生にしても、1970年代前半~中盤辺りの多作ぶりには驚かされます。
しかも、名作がドンドン生まれているのですから、凄いとしか言いようがありません。
最後に・・・。
「恐怖新聞」、「うしろの百太郎」ともに、2021年からは50年近く前の作品です。
しかし、怖さ・恐ろしさは今でも全く色褪せていません。
令和の若者たちが初めて読んでも、あまりの恐怖にビビりまくるはずです。
つのだ先生が込めた熱量の巨大さによって、両作品とも時代を超越した
「永遠の名作」
となったのだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。