「スティーリー・ダン」(Steely Dan)
というアメリカのロックバンドは、令和の若い世代には馴染みが薄いでしょう。
一方、昭和に若者だった世代(1950〜1970年代生まれ)には、大ファンだった方が結構多いはずです。
実質的には二人のユニット!
バンドと言っても、1972年(昭和47年)の結成から5年ほどで、創設メンバーの
ドナルド・フェイゲン(Donald Jay Fagen:1948年〜)
ウォルター・ベッカー(Walter Carl Becker:1950〜2017年)
二人によるユニットとなりました。
二人以外は、必要に応じて外部のミュージシャンを起用していました。
大学で出会った二人。チャンスを掴んでバンド結成!
フェイゲンとベッカーは、アメリカ・ニューヨークの大学在学中に知り合い意気投合。
後に作曲家を目指しますが、生活のためバックミュージシャンなどをしていました。
レコード会社のプロデューサー、ゲイリー・カッツに認められてチャンスを掴んだ二人は、拠点をロサンゼルスに移します。
そして、昔からの知り合いのミュージシャンたちと共に、スティーリー・ダンを結成。
1972年にデビュー・アルバム
「キャント・バイ・ア・スリル」(Can‘t Buy A Thrill)
を発表。
このアルバムが、全米ヒットチャートで17位まで上昇。
収録されている
「ドゥー・イット・アゲイン」(Do It Again)
が全米シングルチャート6 位の大ヒットを記録しました。
ヒット作を連発も、バンド内で問題が・・・。
翌1973年には、セカンド・アルバム
「エクスタシー」(Countdown To Ecstasy)
を発表。
バンドとしては、順調な滑り出しと言えます。
しかし、バンド内では大きな問題が発生していました。
フェイゲンとベッカーは、ミュージシャンにつきものの
「ライブ」
が嫌いだったのです。
ツアーでの移動の過酷さや、生演奏のプレッシャーなどの要因が理由です。
フェイゲンに関しては、あがり症という弱点もありました。
また、バンドメンバーの演奏力が、二人の理想の音楽を表現するには力不足、という事実も表面化してきました。
そのため、外部からミュージシャンを招聘することが続きました。
そのうち、メンバーが一人また一人といなくなります。
1977年に発表された6枚目のアルバム
「彩(エイジャ)」(Aja)
を最後に、フェイゲンとベッカーの二人体制(+スタジオ・ミュージシャン)となりました。
80年代初期から、長い活動休止期間に・・・。
その3年後、1980年に7枚目のアルバム
「ガウチョ」(Gaucho)を発表しました。
それ以降、1993年に活動を再開するまで、スティーリー・ダンは10年を超える長い休止期間に入りました。
学生時代、FMでフェイゲンを知ったのが始まり!
私がスティーリー・ダンを知ったのは、活動再開の少し前。
大学生の頃でした。
ドナルド・フェイゲンがソロ名義で1982年に発表したアルバム
「ナイトフライ」(The Nightfly)
を買って聴いたのがきっかけです。
1曲目に収録されている
「I.G.Y」
をFMラジオで聴き、興味を抱いてアルバムを買いました。
アルバムの解説で、フェイゲンがベッカーと、スティーリー・ダンで活動していたことを知った次第です。
その後しばらくして、1993年にフェイゲンの2枚目のソロ・アルバム
「カマキリアド」(Kamakiriad)
が発表されました。
MTVなどでミュージックビデオがよく流れ、私は「カマキリアド」も買って聴きました。
このアルバムのプロデューサーが、ウォルター・ベッカーでした。
アルバム全作品だけでなく、海賊版も入手!
それからスティーリー・ダンの活動も再開され、翌1994年には来日。
大阪・名古屋・東京・福岡で公演を行っています。
私は当時、ライブは観に行きませんでした。
しかし、スティーリー・ダンのアルバムは買いまくりました。
最初に買ったのは、
「リマスタード・ザ・ベスト・オブ・スティーリー・ダン:ゼン・アンド・ナウ」(Then and Now)
でした。
「ディーコン・ブルース」(Deacon Blues)
「リキの電話番号」(Rikki Don’t Lose That Number)
「リーリン・イン・ジ・イヤーズ」(Reelin’ In The Years)
など名曲ばかりでした(ベスト盤なので当然ですが)。
アルバム全作品を購入しました。
加えて、当時大阪なんばのCDショップで、普通に売られていた海賊盤も数枚入手しました。
現在、大阪市中央区の高島屋難波(なんば)店の真向かい側では、マルイの大阪店が営業しています。そのビルの上層階には、シネコンの「なんばTOHOシネマズ」が入っています。しかし十数年前までは、そこは「南街会館」というビルで、映画[…]
大阪で観たのが、最初で最後のライブ!
20世紀最後の年2000年(平成12年)5月に、スティーリー・ダンが三度目の来日を果たしました。
この時は、
グランキューブ大阪(大阪府立国際会議場)
でのライブを観に行きました。
同年2月に、20年ぶりとなる8枚目のアルバム
「トゥー・アゲインスト・ネイチャー」(Two Against Nature)
を発表しており、それを引っさげてのツアーでした。
私にとっては、最初で最後のスティーリー・ダンのライブでした。
3年後の2003年には、9枚目のアルバム
「エブリシング・マスト・ゴー」(Everything Must Go)
を発表。
結果的には、これが最後のアルバムとなりました。
最後に・・・。
2017年に、ウォルター・ベッカーが食道癌のため、67歳で死去。
1970年代末に麻薬にハマっていたのも、健康を損ねた一因ではと思います。
残念でなりません。
ドナルド・フェイゲンは、2006年と2012年にソロ・アルバムを発表。
一方で、スティーリー・ダンとしての活動も継続中です。
2021年11月現在、御年73歳。
ベッカーの分まで、まだまだ頑張ってもらいたいものです。
今の若い世代の方々にも、スティーリー・ダンの音楽は
「カッコいい!」
と感じてもらえるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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