「古い」を突き抜け「オシャレ」エリアになった中崎町!

皆様は

「中崎町」

とお聞きになり、どこの地方のどこの地域かお分かりになるでしょうか?

関西地方にお住まいの方以外には、ピンと来ないかもしれません。

「中崎町」とは、

大阪市北区中崎一丁目から三丁目及び中崎西

の辺りの地域の総称です。

現在の住居表示では、中崎町という町名は存在しません。

 

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大阪の中心『梅田』から地下鉄で一駅!

中崎町エリアは、大阪市の中心部

「梅田」

エリアの東側に位置します。

地下鉄大阪メトロの谷町線「東梅田」駅から、わずか一駅で「中崎町」駅に到着します。

1番~4番出口まであり、どの出口から地上に出るかによって景色が大きく異なります。

1番出口を上がると、

「天五中崎通商店街」

のアーケードの端に出ます。

2番及び4番出口を上がると、もう既に中崎や中崎西です。

 

『中崎町』は、レトロかつオシャレなエリア!

「中崎町」をご存知ないか詳しくない方にとっては、

「中崎町っていうのは、何かで有名なエリアなのか?」

との疑問が湧くでしょう。

実はこの辺りは、個人経営の古着屋・ブティックなどや雑貨店、そしてレストランやカフェなどが数多く立ち並ぶ

「オシャレでイケてる」(オッサンなのでこうした表現しかできません・・・)

エリアなのです。

それだけではありません。

東京の原宿や大阪のアメリカ村など、全国的に有名な「若者の街」と違い

「昭和レトロ感」

漂う、不思議かつ懐かしい雰囲気のエリアです。

 

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空襲を逃れ、古い建物の残る地域だったが・・・。

この地域は、第二次世界大戦中に米軍の空襲を受けずに済みました。

そのため、大正~昭和初期に建てられた建築物も所々に残っています。

焼け野原にならなかったので、戦後も大規模な区画整理や再開発が行われませんでした。

小さな家屋が密集した所や、車も通れない細い路地が結構あります。

1980年代後半~1990年代前半の「バブル経済」期、中崎町エリアの西側に位置する茶屋町エリアが、私鉄グループ主導で再開発されることとなりました。

しかし、中崎町はそのままの姿を保っていました。

悪く言えば、取り残されたような感じでした。

バブル崩壊以降も、再開発の話は浮上していたようです。

1990年代後半に、何かの雑誌で大阪のビジネス関係者が

「道が狭くて消防車も出入りできないような町では、発展は見込めない。官民一体となって中崎町の再開発に取り組むべきだ。」

と語っているのを読んだ記憶があります。

しかし、結局再開発は行われないまま、21世紀を迎えました。

 

古民家などを若者が格安で借り、お店を開店。若い世代が中崎町に!

その裏側では、その後の中崎町エリアの運命を変える流れが起こり始めていました。

前述の通り、この地域には古い建物が多く残っていましたが、所有者の高齢化や住人・テナントの不在などが大きな問題でした。

そうした古民家や長屋などを若い人たちに安い家賃で貸し、内装のリフォームなども自由にやらせる事例が増えていったのです。

自分の店を持ちたいという夢はあっても、中心部の繁華街は家賃が高くて無理という若い世代の人たちが、次々と中崎町エリアにやって来て、古着屋や雑貨屋などを開店し始めました。

それが大阪や関西の若者たちの間に口コミで広がり、中崎町を訪れる人の数が劇的に増加していきました。

それに伴い店舗数の増加にも拍車がかかり、ファッション・雑貨関連のお店だけでなく飲食店(特にオシャレなカフェ)もどんどん増えることとなりました。

 

巨額の資金を注ぎ込まず、海外からも人が集まる『オシャレ』エリアに!

「ファッション+雑貨+グルメ+レトロ」

という特色を結果的に備えることとなった中崎町エリアは、昭和~平成初期の

「古くて寂れたエリア」(地元の皆様スイマセン・・・)

から、若者の流行をリードする

「オシャレなエリア」

へと変身してしまいました。

中国や韓国、台湾などアジア各国からの観光客も、コロナ禍以前は多数訪れていました。

 

最後に・・・。

巨額の費用を注ぎ込んで大規模再開発を行っても、大コケして人が集まらず悲惨な有様となっているエリアは、日本各地に存在します。

しかし中崎町エリアは、いわゆるデベロッパーやコンサルタントの

「大人の事情」

がてんこ盛りの再開発とは無縁の形で、見事に成功を収めたのでした。

「大人の事情」が絡みまくるとロクなことにならないのは、開催が間近に迫った(いつの間にか、開催が既成事実になっています・・・)世界的スポーツイベントを見ればよく分かります・・・。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。