「パレートの法則」を全員が実行したら、どんな社会に?

皆様は

「パレートの法則」

という言葉をご存知でしょうか?

ビジネス関係の書籍や雑誌をよくお読みの方には、なじみのある言葉かもしれません。

イタリアの経済・社会学者

ヴィルフレド・パレート(Vilfredo Federico Damaso Pareto:1848年~1923年)

により提唱された冪乗則(べきじょうそく:統計モデルの一つ)です。

「経済において、全体の数値のうちの大部分は、その中の一部の要素から生み出されている。」

というものです。

「法則」と名付けられてはいますが、どちらかと言えば経験則と呼ぶべきです。

別名「80:20の法則」とも言われます。

 

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利益の少ない80%より、利益の大きい20%に注力せよ?

「ある会社の売上の80%は、顧客全体の20%によってもたらされる。」

「ある試験の問題の80%は、出題範囲のわずか20%から出題された。」

のような例がよく挙げられます。

多くのビジネス書でこの「パレートの法則」についての言及がなされており、要するに

「大きな利益・成果が期待される一部の事柄を見つけ出し、それに注力せよ。」

ということです。

 

全ての人間が『パレートの法則』に従い行動したら・・・?

言われてみると確かに

「なるほど!あまり意味のない80%を捨ててでも、重要な20%を発見して全力投球すればいいのか!」

と思ってしまいます。

ただ、ふと頭に浮かんだことがあります。

それは

「自分の存在って、社会からすると無駄な80%に含まれるんじゃないか?」

「もし世の中の皆がこの法則に従って、自分にとって重要な20%にしか力を入れなかったら、世の中はどうなるんだろう?」

という二点です。

 

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自分が相手を選別すると同時に、相手も自分を選別する!

我々はどうしても主観的な見方で、自分が他人を

「重要かそうでないか」

に区別することにしか考えが及びません。

しかし、周囲の人間も同じ発想に基づき行動すれば、自分自身もあらゆる局面で

「付加価値の低い80%」

あるいは

「付加価値の高い20%」

のどちらかに振り分けられることになります。

人間誰しも、付加価値が低い、つまり自分の利益になりにくい事はやりたくありません。

どうしてもやらねばならなければ、手を抜いてしまうものです。

当然その仕事の質は低くなり、その仕事の対象の相手にとっては、たまったものではありません。

 

80%を捨てる人間や会社と、貴方は付き合えますか?

極端な話、重要度が低いとされた80%の相手は、その人間や会社との付き合いや取引をやめ、離れていってしまいます。

それでも、残り20%の相手(顧客など)をガッチリ握っておけば、大丈夫ということかもしれません。

しかし、本当にそうでしょうか?

80%の相手から反感を買っている人間や会社に、貴方なら信頼を置くことができるでしょうか?

たとえ自分が「重要な相手」とみなされていても、喜んで付き合いを続けられるものでしょうか?

 

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ほとんどの人間は、80%の確率で『重要でない80%』に?

そして、自分が関わる大多数の人たちから「重要でない80%」に分類されたとしたら、生活や仕事にどんな影響が出て来るでしょうか?

中には

「自分は優秀だ。周囲の人たちも仕事相手も、自分を『重要な20%』にに入れてくれるはずだ。」

という人もいるかもしれません。

しかし大多数の人たちは、常に「80%」と「20%」の境目に立っていると言っていいでしょう。

「パレートの法則」を用いれば、

「社会の利益の80%は20%の人間によってもたらされる。」

という考え方も成り立ちます。

そうなれば、社会の中の80%の人間は「重要度が低い」ことになります。

あるいは、ほとんどの人たちが10回中8回、80%の確率で「付加価値の低い人」として扱われる計算も成り立ちます。

そういう状況にある人たちが、周囲の人間を「80%」対「20%」に区別すること自体、大変困難なことではないでしょうか。

 

20%がいつまでも利益を生むとは限らない!あの大企業も・・・。

上記のように「自分は大丈夫。」と自信満々の人も、その状況がいつまで続くかは全く分かりません。

順風満帆な人生を送っていても、ある日突然様々な機会に

「意味のない80%」

扱いされるようになるかもしれません。

また、前述のように

「無駄な80%から逃げられても、有益な20%を掴んでおけばO.K!」

という考えもあるでしょうが、その20%もいつまでも利益を与えてくれるとは限りません。

かつてアメリカの代表的企業だったGE(ゼネラル・エレクトリック)は、当時のCEOジャック・ウェルチによる徹底的な不採算部門の廃止・売却により、長く続いた不振から脱しました。

ウェルチは

「その分野でトップ3に食い込めない事業は不要である。」

という考えだったそうです。

日本企業にも、その真似をする企業がいくつもありました。

その代表格が東芝で、「原発」と「半導体」の日本柱にかなりの割合の経営資源を注ぎ込みました。

しかし、原発事業の大失敗で会社の屋台骨が大きく揺らぎ、半導体を含む他の事業にもそれを補う力はありませんでした。

結果として、もう一つの柱だった半導体事業を売却し、先日東証一部に返り咲くまで東証二部に格下げという事態となりました。

液晶テレビ「REGZA(レグザ)」など競争力の高い製品が結構あった家電部門も、昔の面影はありません。

この事例からも分かる通り、「重要度の高い20%」はどんどん変わっていきます。

いざ新しい「20%」を探そうとしても、残りの「80%」を蔑ろにしてきた人間や会社は、結局自分から「信用」や「義理」、「つながり」などを捨ててきました。

かなり不利な立場に立たされるでしょう。

 

最後に・・・。

昨今のコロナ禍にあってもまだ、「パレートの法則」をお題目のように唱え続けていると、自分の首を絞めてしまうのでは?と感じます。

ピンチに陥った時に自分を助けてくれる人は、元々

「利益にならない80%」

とみなしていた人たちの中から現れるかもしれません。

企業においても、

「赤字続きの芽が出ない事業」が、少し辛抱すれば

「金のなる木」

に変身するかもしれません。

「パレートの法則」を焼畑農業的に用いると、長期的視点では非常に危険だと思います・・・。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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