普段本を読まない人でも、ドストエフスキーという作家の名前はご存知の方が大多数でしょう。
本名はフョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー。
1821年11月11日生まれ、1881年2月9日死去。
「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「カラマーゾフの兄弟」などの名作を生み出した、ロシアが誇る世界的文豪です。
しかし、このドストエフスキーは、晩年近くまで自らを苦しめる悪癖を持っていました。
博打にのめり込む性質、現代風に言えば「ギャンブル依存症」です。
10代の頃に聴いたラジオドラマで・・・。
私が10代の頃、ラジオの深夜放送が大好きで、熱心に聴いていたのですが、毎週聴いていたある番組の後に、ラジオドラマを放送していました。
「ラジオ図書館」という番組で、文学作品やノンフィクションなどを、30分くらいのドラマに構成し、放送していました。
毎週ではありませんが、この番組も結構聴いていました。
ある回の番組で、ドストエフスキー原作の作品をドラマ化していたのですが、主人公(その時は、ドストエフスキー本人の体験談だと思って聴いていました)が、滞在先でカジノに入り浸り、ギャンブルで負け続けていく様子を語る、という感じの内容でした。
ドストエフスキーと言えば、「罪と罰」の人というくらいの知識しかありませんでしたが、あまりに具体的かつ生々しい感じの描写で、
「ふーん、偉い文豪でも、ギャンブルに熱中することもあるんだな。」
という程度の感想しか持ちませんでした。
ギャンブル狂の逸話が凄過ぎる!
その後しばらくして、ある本を読むと、ドストエフスキーは異常なまでのギャンブル狂で、ギャンブルで作った借金返済のため、奥さんの結婚指輪を外させて、質屋に持って行ったというエピソードが書かれていました。
今時の言葉を使えば、「クズっぷりが凄い」エピソードです・・・。
最近、インターネットでドストエフスキーについて検索してみると、ギャンブル絡みの話が湯水のごとく溢れていました(笑)。
最初の妻との離婚後、愛人との旅行でドイツを訪れたドストエフスキーは、ギャンブルで負けまくります。
金を工面するため、自分が持っていた時計も売り払ったそうです。
最終的には、親族や出版社の援助で負けを清算できました。
その後、「賭博者」という作品を執筆しました。ドイツでの体験が基になったとも言われています。
おそらく、私がラジオドラマで聴いたのは、この「賭博者」だったのではないかと思います。
あの世界的名作が誕生した真相とは?
借金に追われ(自業自得なのですが)経済的に困窮していたドストエフスキーは、悪徳出版業者との間に次のような内容の契約を結んでしまいます。
(1) 金を貸してもらうのと引き換えに、一定の期日までに新作の長編小説を完成させる。
(2) もし期日までに完成できなければ、違約金を支払う。
(3) さらに、その場合はドストエフスキーの作品の著作権を、業者に半永久的に譲り渡す。
何ともメチャクチャな契約ですが、金に困ったドストエフスキーには、断るという選択肢はなかったのでしょう。
そうして借りた金も、ギャンブルでほぼ使い果たしたそうです・・・。
人間としては、完全な社会的不適合者でしょう。
崖っぷちに追い込まれたドストエフスキーは、ようやく本気を出して(もっと早くから本気を出すべきでした)、新作長編の執筆に取り掛かりました。
題名は「罪と罰」。ドストエフスキー最大の代表作です。
しかし、生活のために様々な出版社の仕事を抱えていたため、執筆時間がなかなか確保できませんでした。
最終的には、口述筆記によって完成させたそうです。
ちなみに、前述の「賭博者」も口述筆記で完成させており、その際に筆記者を務めた、アンナという25歳年下(!)の女性と二度目の結婚をしました。
このアンナもドストエフスキーのせいで大変な苦労を強いられ、借金返済のために嫁入り道具を全て質入れしてしまいました。
とんでもないダメ男(父親ほど年上ですが・・・)に引っ掛かってしまったものです。
それにしても、世界の文学史に残る傑作が、借金のプレッシャーから生み出されたとは・・・。
最後に・・・。
「罪と罰」以降も、ドストエフスキーのギャンブル好きは治らず、困窮生活は続きました。生活と借金返済のために、必死で小説を書きまくりました。
そうして書きなぐられた作品の数々(例えば「カラマーゾフの兄弟」など)が、21世紀の現在でも、ロシアを代表する名作として世界中で読まれています。
人間は追い詰められると、いわゆる「火事場の馬鹿力」的な凄いパワーを発揮するものなのでしょうか。
それにしても、ギャンブル依存症は19世紀には既に存在していたんですね。
私を含む凡人は、一攫千金を狙わず、コツコツ努力するのが無難だなぁと、
天才ドストエフスキーの波瀾万丈の生涯から学ぶべきでしょう・・・。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。