デニス・ロッドマンのリバウンド王獲得には、戦略があった!

アメリカのプロバスケットボールリーグ

NBA

のファンは、日本にも多数存在します。

1980年代〜1990年代からのNBAファンで、

デニス・ロッドマン(Dennis Keith Rodman:1961年5月13日〜)

を知らない人はいないでしょう。

 

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NBAを5回制覇!『お騒がせ男』としての一面も!

デニス・ロッドマンは

デトロイト・ピストンズ

サンアントニオ・スパーズ

シカゴ・ブルズ

などでプレーしました。

ピストンズで2回(1989年、1990年)、ブルズで3回(1996年、1997年、1998年)の計5回、NBAチャンピオンを経験。

また、相手選手やコーチ・チームメイトとのトラブル、NBAコミッショナーへの暴言、派手な女性関係、奇抜なヘアスタイル・ファッションなど、コートの内外で話題を振りまいた

「お騒がせ男」

でもありました。

 

バスケの能力は超一級。『リバウンド王』でもあった!

バスケットボール選手としての能力に疑いの余地がないことは、上記の成績が証明しています。

また、個人タイトルとして、1992年〜1998年の7年連続で

「リバウンド王」

に輝きました。

ところで「リバウンド」って?

 

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地味なプレーの『リバウンド』。破天荒なロッドマンがなぜ?

私も昔は「リバウンド」など分からず、

「バスケの個人タイトルって、得点王とかMVPくらいでは?」

と思っていました。

リバウンドについて、Webサイトでは色々な説明がなされていますが、大雑把に言うと

「シュートされたボールがゴールしなかった状態で、そのボールを掴み取るか、味方に有利な方向へ弾くかして、自チームのボールにすること」

です。

サッカーで言うところの「ルーズボール」を拾うようなものでしょうか。

ダンクシュートや3ポイントシュートのような、華のある得点プレーとは違います。

私も含めたバスケの素人には、

「地味なプレー」

です。

汚れ仕事に近い感じです。

リバウンドは、バスケットボールでは重要なディフェンスプレーですが、バスケの見せ場はやはりシュートです。

破天荒な言動で知られるロッドマンが、なぜリバウンドの達人となったのでしょうか?

 

貧しい少年時代を経て、大学で才能が開花!

ロッドマンは、アメリカのニュージャージー州出身です。

少年時代は、スラム地区の住民のための公営住宅で暮らしていました。

少年期からバスケはプレーしていましたが、高校までは無名でした。

一旦バスケから遠ざかりましたが、妹の友人の勧めで進学した短大で、再びバスケに取り組みます。

途中編入した4年制大学では、大学バスケの二部リーグで活躍。

それがプロの目に留まります。

1986年にドラフト二巡目27位で、NBAのデトロイト・ピストンズに入団しました。

 

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最高峰のNBAは、甘くなかった・・・。

ここまででも、十分立派なサクセスストーリーです。

しかし、最高峰のNBAは非常に厳しい世界でした。

1年目の1986年 ―1987年シーズンは、ロッドマンは多くの時間をベンチに座って過ごしました。

出場機会がなかなか巡ってこないことに、さすがのロッドマンも焦りを募らせます。

彼が1996年に出版した自伝

「Bad As I Wanna Be」(邦題「ワルがままに」:徳間書店刊)

で、その辺りの状況が語られています。


 

多くのルーキーが、すぐにNBAから去って行く・・・。

毎シーズン多くのルーキー(新人選手)が、夢を抱いてNBAにやって来ます。

しかし、ほとんどの選手は熾烈な競争に敗れ、短期間でお払い箱になり去って行きます。

ロッドマンも

「このままでは、自分も他の奴らのようにNBAからオサラバすることになるかも・・・。」

と、不安を抱いていました。

ロッドマンの当時の主なポジションは、

「スモール・フォワード」

でした。

得点力だけでなく守備力など、オールラウンドな能力を求められるポジションです。

ロッドマンは得点能力が低く、自分でもその弱点を自覚していたようです。

 

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生き残りのため、得意のリバウンドでアピール!

一方、守備能力は優れており、大学時代には2回

「リバウンド首位」

となっていました。

「NBAで生き残っていくには、リバウンド能力でアピールしていくしかない。」

と、ロッドマンは考えたそうです。

以降、積極的にリバウンドを取りに行くようになり、出場機会も増加していきました。

1989年と1990年には、2シーズン連続でNBAを制覇。

その後スパーズ、ブルズとチームを移ってもリバウンドを取りまくり、1991年 ―1992年シーズンから

7年連続リバウンド王

という快挙を成し遂げました。

 

スター軍団ブルズでも、不可欠な存在に!

1995年―1996年シーズンにシカゴ・ブルズへ移籍した際は、

「トラブルメーカーのロッドマンが、ブルズでやって行けるのか?」

という不安の声が多数上がったそうです。

しかし周囲の不安をよそに、当時のコーチだった名将フィル・ジャクソンの高度な戦術もすぐに理解。

マイケル・ジョーダンやスコッティ・ピッペンらのスーパースターが揃ったブルズでも、欠かせない存在となりました。

そして、在籍3シーズン全てで、NBAチャンピオンに輝きました。

 

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単なる破天荒ではなく、明確な戦略を持っていた!

バスケットボールには全く疎い私も、1990年代途中には、ロッドマンの存在は知っていました。

バスケそのものの話題より、数々のお騒がせエピソードを通してでしたが・・・。

しかし、たまたま書店で見かけた自伝「ワルがままに」を買って読むと、ロッドマンが単なる破天荒な人間ではないことを知りました。

冷静な考えに基づき、明確な戦略により自分の特長をアピール。

そして、いわゆる

「オンリーワン」

の地位を確立したのです。

高校・大学での輝かしい実績を引っ提げ、鳴り物入りでデビューしたわけではありません。

それでも、10年以上NBAの世界で生き残りました。

 

最後に・・・。

もしロッドマンが華麗なゴールや派手なプレーに拘り、地味なリバウンドを嫌がっていたら、2〜3年でNBAから追い出されていたかもしれません。

スポーツに限らずどんな仕事でも、

「地味で目立たない汚れ仕事」

にこそ、案外大きなチャンスが埋もれているのかもしれません。

ちなみに、ロッドマンが活躍してスター選手になると、ある現象が起こったそうです。

バスケをやっている少年少女たちの間で、リバウンドを取りに行く子が急に増えたとか。

デニス・ロッドマンという一人の選手によって、リバウンドが

「カッコいいプレー」

になったのでした・・・。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。