[書評]河上肇「貧乏物語」を令和の世にこそ読むべし!

2024年(令和6年)が始まってまだ2日ですが、日本でも外国でも景気の良い話はほとんどありません。

戦争、インフレ・物価高、異常気象など・・・。

そうしたマイナス要因が、2023年(令和5年)には我々の生活の至る所に影響を及ぼしました。

今年もその影響を受け続けながら、我々は日々を送ることとなります。

歴史的水準の円安により、一部の大企業は記録的な利益を計上しましたが、働く人間への還元はまだまだ不十分です・・・。

 

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検索数上位ワードに『貧乏』・・・。

つい先日、携帯電話でGoogle検索の画面を見てみると、検索数が上位のワードがいくつか表示されていました。

そのなかの一つが

「貧乏」

というものでした。

シンプル極まりない言葉です・・・。

気になった私は、その部分をクリックしてみました。

しかし、検索結果の表示には一貫性がありません。

一体何を知りたくて、多くの人が

「貧乏」

という言葉を入力したのか、皆目分かりませんでした。

その時ふと、私の頭の中にある本の題名が思い浮かびました。

その名は

「貧乏物語」・・・。

 

実は、100年以上前に書かれたロングセラー!

この本は、経済学者の

河上肇(かわかみ はじめ:1879年(明治12年)10月20日〜1946年(昭和21年)1月30日)

が大阪朝日新聞に連載(1916年(大正5年)9月11日〜12月26日)

した評論を、書籍化したものです。

翌1917年(大正6年)に出版されました。

そして著者河上の死後、1947年(昭和22年)9月に、岩波書店より

「岩波文庫」

の一冊として再び出版されました。

現在私の手元にある岩波文庫の奥付を見ると、

「2016年10月14日 第77刷発行」

と書かれています。

100年以上前に出版された本が、21世紀の今でも読まれ続けているのは、特筆に値します。

 

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河上肇はこんな人だった!

河上肇については、ここで詳しく語る余裕がないので、略歴だけ書きます。

山口県生まれで、1902年(明治35年)東京帝国大学を卒業。

その後、大学講師や読売新聞の記者として勤務。

1908年(明治41年)、京都帝国大学の講師に。

1913年(大正2年)〜1915年(大正4年)はヨーロッパに留学。

帰国後は京都帝大の教授に。

1920年(大正9年)には、京都帝大の経済学部長に就任。

以後、マルクス経済学の研究に専念。

1928年(昭和3年)4月に、辞職勧告を受けて京都帝大を辞職。

その後、労働農民党の結成にも参加するが、のちに脱退。

1932年(昭和7年)9月、日本共産党に入党。

1933年(昭和8年)に二度逮捕され、刑務所に服役。

3年9ヶ月に及ぶ獄中生活の中で、共産主義からの転向を発表。

戦後間もなくの1946年(昭和21年)1月、京都市内の自宅で死去。

 

左翼学者の知名度が低いのはやむなし?

河上肇の名前を、教科書などで読んでご存知の方は多いでしょう。

しかし、その著書を読んだことのある方は、一気に少なくなるはずです。

「マルクス経済学」

「共産主義」

など、令和の日本ではウケようのないテーマを研究・実践してきた人物だけに、それもやむなしというところでしょうか。

一部のエセ右翼バカからは、

「そんな古くさい本、読むだけ時間の無駄!」

と言われるのがオチでしょう。

 

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大正時代に『格差社会』、『ワーキングプア』を指摘!

しかし、この「貧乏物語」は、思想の右・左という千引きを取っ払い、より多くの人が読むべき本だと断言します。

何故か?

それは、この本が100年以上も前、日本では大正時代に

「格差社会」

「ワーキングプア」

といった、2024年(令和6年)の今でもまだはびこっている社会問題を扱っている

「早過ぎた本」

だからです。

日本及びイギリス・アメリカ・ドイツ・フランスの統計や調査を例に挙げ、

「豊かな先進国」

であるはずの国々で

「定職に就いて懸命に働いているのに、生活が非常に苦しい」

「人口の1〜2%の人々が、富の全体の50%前後を保有している」

といった状況を語っています。

「あれ?これって大正時代の本だよな?令和の話じゃないよな?」

と思ってしまうほど、21世紀の世界で起きている現象と極めて似ているのです。

大正時代にこうした問題に着目していたことに、驚いてしまいます。

 

どんな解決策を示そうとも、河上の運命は決まっていた・・・。

もちろん、本書で有効な解決策が提示されているわけではありません。

もしあれば、今頃日本を含む世界中の格差・貧困問題は、とっくに解決しているはずです。

ちなみに本書では、

「金持ちのための贅沢品を作った方が利益が増えるから、貧乏人のための生活必需品が少なくなり、価格も上がってしまう。よって、金持ちの贅沢を禁止すべきだ。」

という趣旨の主張がなされています。

確かに、理想論的な主張です・・・。

しかし、河上がどのような主張をしていたとしても、当時の日本社会は軍国主義・全体主義に突き進む一歩手前の段階。

様々な種類の

「神国ニッポン最強!」

バカたちが威張り散らしていた時代です。

マルクス経済学や共産主義に深入りし過ぎた人間は、迫害・弾圧から免れることはできませんでした。

本心かどうか分からない

「転向」

を宣言し、出獄後は自叙伝を執筆していた河上の心中は、いかなる状態だったのでしょうか・・・。

日本の敗戦により第二次世界大戦が終わり、自由にものが言えるようになった矢先、河上の生命の灯が消えたのも、運命の皮肉です。

 

最後に・・・。

令和6年の今、日本社会では

「論破バカ」

「自己責任バカ」

「インフルエンサーの受け売りバカ」

などなど、様々なバカが調子に乗っています。

細かな状況は異なりますが、昭和初期っぽい雰囲気が漂っています。

こんな今だからこそ、

「論語と算盤」よりも

「教育勅語」よりも

「貧乏物語」(結構キャッチーな題名)

を読むべきだと思います。


そこから、新しい何かが見えてくるかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。