チャンピオン、キング、コミックトム:マイナーなマンガ雑誌を語ろう。

こんにちは。husband(@kumafumoblog)です。

小学1~2年生頃に、散髪屋や病院の待合室で「マンガ雑誌デビュー」する子供が非常に多いです。

しかし、小学校低~中学年の子供が週刊、月刊のマンガ雑誌を何冊も購読するのは困難です。お気に入りの雑誌を1冊だけ親に買ってもらうか、好きな作品を単行本で読むかのどちらかでした。

 

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チャンピオン、キングはマイナーだと子供でも認識していた!

1970年代終盤は、週刊だけでも「ジャンプ」、「サンデー」、「マガジン」、「チャンピオン」、「キング」と五つの少年マンガ誌が発行されていました。

小学生でも、段々五誌の人気の差が分かってきます。

「ジャンプ」、「サンデー」、「マガジン」がやはり売れていて、同級生にも人気がありました。

「チャンピオン」と「キング」は少し格下だと、子供心にうっすら気付いていました(笑)。

 

両誌共に大御所漫画家の作品を多数掲載!しかし・・・。

しかし、「チャンピオン」は手塚治虫先生(「ブラック・ジャック」、「七色いんこ」など)、藤子不二雄先生(「魔太郎がくる!」、「ブラック商会変奇郎」)、水島伸司先生(「ドカベン」)、永井豪先生(「キューティーハニー」など)、つのだじろう先生(「恐怖新聞」)、古賀新一先生(「エコエコアザラク」)など、有名マンガ家の「かなり攻めた」作品が多く、コミックス巻末のラインナップ紹介で興味を持ち、単行本を買ったりしました。

「キング」も、藤子先生の「まんが道」、松本零士先生の「銀河鉄道999」、つのだ先生の「5五の龍」、望月三起也先生の「優しい鷲JJ」などの有名作品が記憶に残っています。

「チャンピオン」と「キング」は、他の三誌より若干対象年齢が高かったように感じます。メジャー三誌にも、やや難解な内容の作品は多数ありましたが、雑誌全体としては、「少年誌」の枠は守っていたと思います。

また、「チャンピオン」と「キング」は、あまり若手のヒット作が出なかった印象が強いです。大御所の人気に乗っかっていた部分もあります(特に「キング」)。

「少年キング」は、1982年(昭和57年)4月に休刊しました。

「そういえば最近、散髪屋や病院で「キング」を置いてないなあ。」

などと思っていましたが、いつの間にか休刊になっていたのでした。

発行部数低迷による不採算という、「大人の事情」は、小学生にはまだ分かりませんでした・・・。

 

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コミックトムはマイナーながら名作揃い!

小学6年生~中学生の頃、「コミックトム」(潮出版社)も時々買って読んでいました。

「チャンピオン」や「キング」よりも、更にマイナーな雑誌でした。

1980年(昭和55年)に「コミックトム」に改名されました。

2001年(平成13年)に休刊となりましたが、2012年(平成24年)8月に、「WEBコミックトム(ウェブコミック配信サイト)」として再開されました。

横山光輝先生の「三国志」が最大のヒット作で、同誌の看板作品でした。

手塚治虫先生も「ブッダ」を連載なさっていました。

私は藤子・F・不二雄先生の「T・Pぼん」が大好きで、コミックスも持っていました。相棒の藤子不二雄A先生も、「パーマンの指定席」という映画エッセイを連載なさっていました。

他に、みなもと太郎先生の「風雲児たち」、坂口尚先生の「石の花」、倉多江美先生の「静粛に、天才只今勉強中!」、松山善三先生原作・ながやす巧先生画の「潮騒伝説」が記憶に残っています。

「風雲児たち」→歴史物

「石の花」→旧ユーゴスラビア内戦がテーマ

「静粛に、天才只今勉強中!」→フランス革命前後がテーマ

と、個性的な作品が多かったです。

「潮騒伝説」は、ラスト2話を読んだ記憶があります。

最終回がまるで「少年ジャンプの打ち切り作品」のような唐突な展開で、

強引に終わってしまいました。

 

最後に・・・。

結局、上記三誌のうち「少年チャンピオン」以外は休刊(事実上の廃刊)になってしまいました。

現在のマンガ界は、年齢層ごとに細分化が進み、子供がちょっと背伸びをして読む雑誌がないように感じます。

今回取り上げた三誌は、そうした「子供の背伸び」に適した雑誌だったと思います。

これらの雑誌に連載されていた作品の大部分は、今まで古本でしか読めないものが多かったのですが、最近は電子書籍で読める作品もあります。興味をお持ちの方は、インターネットで調べてみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。