現在の若者世代に「団地」について尋ねたら、どのような答えが返ってくるでしょうか。
もちろん今も団地そのものは日本各地に存在しており、そこに住む若者もある程度いるはずです。
しかし、私のような50歳目前の世代や、もう少し上の50~60歳くらいまでの世代とは、抱くイメージが大きく異なるのではないでしょうか。
昔の団地は、小さな町を形成していた!
私自身、生まれて間もなく両親と共に団地に引っ越し、小学生の途中まで「団地っ子」でした。
当時は、日本が高度経済成長の真っ只中にいる時代でした。
私が住んでいたのは、関西のある都市の団地でした。
とは言っても、大規模な建物が2~3棟というような、マンションっぽい形ではありません。
5階建てで、1階から5階へと上がる階段が3列ありました。
階段の各階部分に、部屋の玄関ドアが向かい合っているタイプでした。
1列10世帯×3列、合計30世帯が一棟の建物に入居できるようになっていました。
このタイプの建物が、1棟~50棟くらいまであちこちに建ち並んでいて、ある意味団地だけで小さな町を形成している感じでした。
各区画にはきちんとアスファルト舗装された道路が通っており、至る所に小さな公園(砂場やブランコ、ベンチがある程度)もありました。
集会所もいくつもあり、そろばんや書道、公文式の教室などもそこで開かれていました。
私も2年近く、近くの集会所の書道教室に通っていました。
幼稚園や小学校でも、クラスの半数以上は団地のどこかに住んでいました。
今考えたら、団地生活はハードだった?
広さは2DKで、決して広いとは言えませんが、まだ子供だったため、さほど狭いとは感じませんでした。
また、プライバシーを気にする年頃でもありませんでした。
私の家は最上階の5階にありましたが、当時は全く移動が苦になりませんでした(今だと、絶対に生活できません・・・)。
その頃は、まだ酒屋さんがどこの地元にもあった頃で、父の飲んでいたビール(瓶ビール)をダース単位で、プラスチックの黄色いケースで配達してくれていました。
今思うと「あれって重労働だったよな・・・。」と改めて実感します。
5階建てなのでエレベーターもなく、瓶ビールを10本、20本単位で4階や5階まで配達するのは、相当しんどかったはずです。
今と違い、近所付き合いは結構あった!
近所付き合いも、少なくとも同じ棟の中では結構ありました。
同じ棟の各階の住人については、最低でも顔と名前は知っていましたし、年齢の近い子供同士は割とよく一緒に遊んだりしました。
母親も、他の階の主婦2~3人とは大変仲良くしていました。
団地内の自治会もきちんと機能していて、他の棟の人たちとの交流もある程度あったはずです。
買い物や病院にも困らなかった!
団地近くには、近隣センターと呼ばれる、商店の集まったエリアがあり、日用品や食料品は大体そこで買うことができました。
病院についても、医療センターという地区には各診療科の個人医院が並んでいました。
他の地域でも、団地にはそうしたエリアがセットのように付随していました。
ヨーロッパ発祥の団地は、日本で独自の進化を遂げた!
こうした団地というシステムは、元々はヨーロッパで発展し、特に旧ソビエト連邦(現在のロシア)など共産圏諸国で重要政策として推進されました。
現在でもそうした団地群の多くが現存しており、住民も多いです。
ヨーロッパ映画でも、時々団地が舞台として登場します。
日本で団地が次々と建設されていったのは、主に昭和30年代末~40年代ですが、そこはパクリ、いやカイゼン(改善)に長けた日本。本家ヨーロッパに劣らぬレベルで、独自の進化を遂げていきました。
主な代表例としては、東京都板橋区の「高島平団地」、大阪府豊中市・吹田市の「千里ニュータウン」が挙げられます。
確かある雑誌で読んだと記憶しているのですが、1980年代初めに旧ソ連の政府高官が来日し、大阪府寝屋川市の公営住宅を視察したそうです。
団地の本家であるヨーロッパの国が、後発の日本の団地を研究しに来たのですから、すごいことです。
老朽化やサイズの問題で、団地の建て替えが進んだ・・・。
しかし、時が過ぎ21世紀を迎える頃には、日本各地の団地も老朽化してきました。
また、団地のサイズも現代の日本人、特に若い世代には小さく狭くなってきてしまいました。
私も大人になってから、仕事で団地を訪れる機会が何回もありましたが、階段の幅や高さが非常に狭苦しく感じました。
平成生まれの子供だと、階段の天井に頭をぶつけてしまうのでは?と思ったものです。
そのため、各地の団地は建て替えが行われ、現代風の建物に生まれ変わるケースが大きく増加しました。
最後に・・・。
現代の若い世代の家族にとっては、当然新しく綺麗で、エレベーターや防犯カメラなどの付いているオシャレな団地の方が好ましいでしょう。
しかし、10歳頃まで団地に住んでいた人間からすれば、旧来型の団地が姿を消しつつあることに、何とはなく物悲しさを感じます。
もし中学~高校くらいまでずっと団地暮らしだったら、団地に対する思いはもっと後ろ向きなものになっていたかもしれません。
小学生半ばという時期に団地を離れたからこそ、「良い思い出」だけが増幅され、美化されているのでしょう。
しかし、今でも「団地って、結構よかったよな・・・。」と思い出す時があります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。