若い世代の方々にはなじみがないかもしれませんが、
アラン・ドロン(Alain Delon:1935年~)
と言えば、1960~1970年代を代表するフランスの映画スターです。
「太陽がいっぱい」
「若者のすべて」
「さらば友よ」
など数々のヒット作で、フランスだけでなく世界的なスーパースターとなりました。
2021年(令和3年)6月現在もご存命です。
現在60歳~80歳台の日本のマダムたちにも、アラン・ドロンに夢中になられた方々が多数いらっしゃるはずです。
世界的スターと『営業』に何の関係が?
そんなアラン・ドロンが昔、いわゆる
「営業」
をやっていたことをご記憶の方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか?
「営業」という言葉は、テレビでよくお笑いの世界のタレントさんが使います。
デパートやスーパー、学園祭などのイベントの仕事を指します。
中途半端にテレビに出るよりも、「営業」で全国を飛び回った方が、収入ははるかに良いと言われます。
もちろんアラン・ドロンはコメディアンではなく、超王道の二枚目俳優でした。
そんな人物と「営業」が、どうつながるのでしょうか?
1980年代半ば、新聞に出ていた旅行の広告とは?
新聞には色々な広告が掲載されていますが、旅行のツアー募集の広告も多いです。
コロナ禍以前は、国内・海外のツアー旅行の広告が新聞各紙に躍っていました。
1980年代半ば頃から、新聞で時々次のような広告を見かけるようになりました。
「アラン・ドロンと行く パリ・セーヌ川遊覧ツアー」
のようなタイトルでした。
説明を読んでみると、ツアーの内容はフランス、特に首都パリの観光で、世界的な名所を見て回るベタなものでした。
その中の一日に、遊覧船を貸切でチャーターし、パリ市内を流れるセーヌ川を船で進みながら、パリの美しい景色を眺めるという行程がありました。
その遊覧船にアラン・ドロンが乗ってきて、ツアー客と遊覧を楽しむという仕掛けです。
遊覧船だけでなく、夕食会場にも登場!
道中ではサインをしてもらったり、一緒に写真に収まってくれるというサービスもあったようです。
遊覧が終わると、アラン・ドロンは一旦お役御免となり、ツアー客は次の場所へ移動します。
夜になると、宿泊先のホテルだったか高級レストランでの夕食となります。
そこへ再びアラン・ドロンが登場します。
各テーブルを回って、ワインを飲みながら談笑したり、サインや写真撮影に応じてくれたそうです。
これを日本語で表現するなら、間違いなく
「営業」
です。
1980年代のジャパンマネーにスーパースターも転んだ?
1980年代には、さすがのドロンも年齢を重ね、世界的なヒット映画は出なくなりました。
しかし世界的な知名度は健在で、日本での人気も衰えてはいませんでした。
ツアー参加客の大半は、そこそこお金持ちのマダムたちだったそうです。
1980年代後半は、日本がバブル景気に沸いた
「狂乱の時代」
でした。
当然ながら、ドロンの「ギャラ」も相当な金額だったと推測されます。
ジャパンマネーの一部は、ドロンの所へも届いたようです。
昼は遊覧船で優雅にクルーズ、夜は高級レストランに顔を出してワインをたしなむ。
客は皆自分のファンで、わざわざ日本からやって来たとくれば、アラン・ドロンも上機嫌だったに違いないでしょう。
それでかなりのギャラまでもらえるとなれば、まさしく
「オイシイ営業」
と言う他ありません。
その後日本でも、芸能人によるファンとのクルーズが!
インターネットで色々検索してみると、どうやら1990年代初め頃まで、こうしたツアーは行われていたようです。
大手旅行会社の添乗員をなさっていた女性のブログにも、当時の様子が書かれていました。
日本でも、1990年代後半~末期頃までは、アイドルや女優がファンクラブの会員たちと一緒に、クルーズ船で東京や横浜辺りを遊覧するイベントがありました。
時々、テレビの芸能ニュースで紹介されていたものです。
その先駆けがアラン・ドロンだったのでしょうか?
最後に・・・。
残念ながらドロンは2017年に芸能界引退を表明し、現在は公の場にも姿を見せていないようです。
コロナ禍が収束した後、再び
「アラン・ドロンに会いに行こう!」
のようなツアーを企画すれば、富裕層シニアのマダムたちが、大挙してパリに押し寄せるかもしれません・・・。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。