ヤンタンなどの「深夜ラジオ」にハマってました!(前編)

最近は、若い世代を中心として「テレビ離れ」が進んでいます。

テレビで放送される番組が急激につまらなくなっていること及び、ネットサーフィンやSNS、Youtubeに時間を費やす人が増加していることが大きな原因です。

そんな中、「ラジオ」はテレビやYoutubeとは異なる、独自の立ち位置にいると言ってよいでしょう。

リスナー(聴取者)とのコミュニケーション手段こそ、昔のハガキから電子メールやツイッター、フェイスブックなどのSNSに替わりましたが、DJなど送り手とリスナーの間が近いという点は、現在も変わっていません。

私個人は、最近はほとんどFMラジオしか聴いていませんが、AMラジオもまだまだ健在であり、20~30年以上続く人気番組もたくさんあります。

 

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中~高校生あたりが、最初に深夜ラジオにハマる時期!

多くの人がラジオにハマる、つまり熱心に聴くのは、10代前半~中盤、中学生~高校生あたりが最初でしょう。

どこのラジオ局でも、午後10時頃からは若年層を主なターゲットにした番組を放送しています。

部活や塾が終わり、帰宅して食事などを済ませた辺りの時間帯で、宿題や受験勉強をしながらというパターンが王道です。

 

私の『深夜ラジオ』デビューは、中学入学からだった・・・。

私が「深夜ラジオ」を本格的に聴き始めたのは、中学校に入学した頃でした。

当時、つまり1980年代前半は、関西地方で深夜ラジオと言えばまず

「ヤンタン」

でした。

正式名称は

「MBSヤングタウン」。

1967年(昭和42年)10月に、大阪の毎日放送(MBS)で放送が始まりました。

実は2021年(令和3年)現在も、毎週金曜日~日曜日は夜10時から放送されています。

土曜日の明石家さんまさん、日曜日の笑福亭鶴瓶さんは、約40年以上パーソナリティーを務めていらっしゃいます。

 

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ヤンタンのパーソナリティーは、毎日豪華な顔ぶれだった!

私が中学生の頃は、さんまさんが月曜日、鶴瓶さんは土曜日の担当でした。

この時期のヤンタンのパーソナリティーは、今考えても非常に豪華な面々でした。

覚えている限りでも、月曜日はさんまさん、火曜日は故・やしきたかじんさんと岩崎宏美さん、水曜日は原田伸郎さんでした。

木曜日は私が聴き始めてしばらくしてから、島田紳助さんと白井貴子さんが担当となりました。

金曜日は谷村新司さんとばんばひろふみさん、土曜日は鶴瓶さんでした。

日曜日は、一時期放送された後にしばらく休止されていましたが、確か1984年(昭和59年)初め頃から西川のりおさんがパーソナリティーとなり、放送が再開されました。

同じく1984年の途中から、火曜日は嘉門達夫さんと河合奈保子さん(!!)という異色のコンビが担当となりました。

嘉門さんは前年の1983年(昭和58年)に「ヤンキーの兄ちゃん」というコミックソングで一躍人気者となり、ヤンタンのパーソナリティーに抜擢されました。

相棒を務めるのが河合奈保子さんと知って、我々リスナーは大いに驚きました。

奈保子さんと言えば、当時は既に駆け出しではなくスターでした。

現役のトップアイドルだったのです。

奈保子さんが大阪出身で生粋の関西人であることを考慮しても、この組み合わせは衝撃的でした。

 

水曜日には、デビュー直後の渡辺美里も!

また、1985年(昭和60年)には伸郎さん担当の水曜日に、北野誠さん(当時の芸名はMAKOTO)と渡辺美里さんがレギュラーとして加わりました。

美里さんは4月に加入して間もなくの1985年5月2日、シングル

「I’m Free」(映画「フットルース」サントラ盤収録曲のカバー)

でレコードデビュー(当時はまだ「レコード」でした)しました。

翌1986年(昭和61年)の初めに名曲

「My Revolution」

が大ヒットし多忙となったせいか、わずか1年で「ヤン水」(ヤンタン水曜日)を卒業してしまいました。

しかし、私は以降も現在に至るまで、36年間現役バリバリの美里ファンです。

 

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北野誠さんも、水曜日は1年で卒業となりましたが、「ヤンタン キンド館」で兵藤ゆきさんとコンビを組み、後にメインとして水曜日に復帰なさいました。

同じ大阪の朝日放送(ABC)ラジオで伝説の番組

「誠のサイキック青年団」

が始まるのは、しばらく後のことです。

 

他にも色々おなじみの芸能人が出ていた!

木曜日は、紳助さんと白井さん(当時はロックミュージシャンとして人気を博していました)の掛け合いが面白く、毎週楽しみにしていました。

この木曜日には、紳助さんの友人であり、関西地方では誰もが知る

「オウミ住宅」

のテレビCMに出演している、パンチみつおさんも出演なさっていました。

1986年(昭和61年)には、白井さんが卒業となり、二代目に今井美樹さんが抜擢されました。

まだデビューして間もない頃でした。

金曜日にも一時期、松本明子さんがレギュラーとして出演なさっていました。

土曜日には、1985年にまだ大学生だった森脇健児さんが加入し、レポーターなどをなさっていました。

 

ヤンタン日曜日が大好きで、ハガキを送っていた!

日曜日はメインの西川のりおさんの他に、歌手の小林千絵さんとMBSの柏木宏之アナウンサーがレギュラーメンバーでした。

私はヤンタン全曜日の中で、日曜日が一番好きでした。

のりおさんの「ヤン日」はおよそ7年間続きましたが、毎週リアルタイムで聴きながら、カセットテープで録音していました。

録音したカセットも、次の放送まで2~3回繰り返して聴いていたほどです。

ヤンタンは各曜日とも、リスナーからのハガキを基に様々なコーナーをやっていました。

私はヤン日に数回ハガキを送り、3回ネタが採用されたことがあります。

ハガキが採用されたリスナーには、ヤンタン特製のステッカー、キーホルダー、ペンケースのいずれかが送られてきました。

私は2回続けてペンケースをもらい、3回目には放送で

「この方にはステッカー!」

と言われました。

しかし、後日MBSから送られてきたのはペンケースでした・・・。

まだまだ書き足りないことがありますので、続きは明日の「後編」でお伝えします。

 

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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