「お笑いマンガ道場」を語ろう!パート2

その他(夫)

先日、嫁のブログのテーマが「お笑いマンガ道場」でした。

その2~3日前、嫁が「小学生の頃に毎日日記を書かされていた。」という話をしていました。

大人になってから、その日記を読み返す機会があったそうですが、日記の色んな日に

「今日、『お笑いマンガ道場』を観た。面白かった。」

と書いてあったそうです。

ところが、当の本人は「お笑いマンガ道場」の内容を全く覚えていないとのこと。

私は爆笑すると共に、

「そんなエピソードがあるのに、何でブログに書かないの?」

と説諭(笑)しました。

そこで嫁はブログのテーマにしましたが、ほぼ誰にも読んでもらっていないとのこと・・・。この記事をお読みいただいた方には、嫁の記事もお読みいただければ幸いです。

昔の日記に「お笑いマンガ道場」が頻発してるが、全く記憶に無い件。
皆さんは、「お笑いマンガ道場」という番組をご存知だろうか? 随分昔にやっていた番組の様。 というのも、ずっと前に家の中を整理していたら、小学生の頃の日記が出てきた。 母親に日記をつけなさいと言われ、嫌々つけていたあまり良い思い出で...

それなら私が第2弾を執筆し、少しでも「お笑いマンガ道場」の面白さを後世に伝えようと思い立ちました。

「お笑いマンガ道場」って、どんな番組だった?

「お笑いマンガ道場」は、1976年(昭和51年)4月から1994年(平成6年)3月まで18年間も続いた、TVバラエティー番組です。

番組の内容は、2~3つの「お題」が司会者から出され、出演者がお題に沿ったマンガその場でフリップに書き、発表するという「大喜利」スタイルでした。

私がこの番組を観るようになったのは、多分小学校2~3年生くらいです。

司会者については、二代目の柏村武昭さんのイメージしかありませんが、それもそのはずで、インターネットの情報によると、初代司会者の桂米丸さんは1年間しか出演なさっていなかったとのこと。

毎週金曜日の夕方頃に放送していたはずで、毎週欠かさずというほどではありませんでしたが、結構よく観ていました。小学生の終わりくらいまで観ていたように思います。

出演者も個性派で芸達者が多かった!

記憶に一番残っているのは、レギュラー出演者のマンガ家二人、富永一朗さんと鈴木義司さんの、ライバル心むき出しの掛け合いでした。

お互い答える際に、相手をバカにしてこき下ろす(イジる)絵を描き合って争うのが、毎回のお約束でした。

しかし、お二人ともさすがはプロのマンガ家。即興でフリップに描いた絵の上手さに、子供心にスゴイ!と思いました。

もちろんお二人の番組でのケンカは、あくまでも番組を盛り上げるためであり、お二人は数十年来の親友だったとのことです。

もう一つ覚えているのは、タレントの車だん吉さんと女性レギュラーが、番組最後の視聴者投稿コーナー「おまけコーナー」で繰り広げる掛け合いでした。

だん吉さんはタレントだけあって、面白いコメントとリアクションで笑いを取るのですが、女性レギュラー、特に三代目の故・川島なお美さんとの掛け合いは絶妙でした。なお美さんが相方になってしばらくして、私は中学生になったので、それほど長くは観ていないはずですが、なぜか強く印象に残っています。

ネットで調べると、意外な事実が!

だん吉さんのマンガの腕前は相当なもので、Wikipediaによると、この番組がきっかけで、後にマンガ雑誌に連載を持たれたそうです。

他にも、1989年(平成元年)に、川島なお美さんがテレビのロケバス事故で負傷なさった際、吉川十和子(現:君島十和子)さんがピンチヒッターを務められたそうで、驚きました。

今や超大物脚本家である三谷幸喜さんも、一時期構成作家として番組に参加なさっていました。

最後に・・・。

子供の頃は、テレビ番組は東京か大阪でしか作っていないと思っていたのですが、この番組の最後に投稿宛先として「中京テレビ」と書かれていたので、名古屋でもテレビ番組を作っている(当たり前ですが・・・)ことに気付きました。

大人になってからも、お笑い番組の大喜利コーナーは好きですが、今振り返ると、この「お笑いマンガ道場」で大喜利に慣れ親しんだのが原因でしょう。

こんなに面白かった「お笑いマンガ道場」の内容を、嫁が全く思い出せないのはなぜなのでしょう?日記に度々書いていたほどですから、相当好きな番組だったはずですが・・・。

そして、50歳近くにもなって、「お笑いマンガ道場」についてこんなにも覚えている私は、一体何者なのでしょうか・・・。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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