社長から貴族まで!元F1ドライバーの華麗なる転身

スポーツ(夫)

スポーツ選手が現役引退後、事業を営むのはよくある話ですが、どちらかというと失敗するケースをよく見聞きします。

しかし、モータースポーツのF1ドライバーは、引退してビジネスの世界に飛び込んでも、成功を収めている人の割合が高いです。

大きな理由として挙げられるのは、皆F1に到達するまでにスポンサー探しに苦労する中で、交渉能力やアピール力など、ビジネス感覚が磨かれていくという点です。

また、F1ドライバーには大金持ちの家の子が多く、親の後を継いで事業を経営するので、一から始めるより恵まれているという点もあります。

ここでは、F1引退後に華麗なる転身を遂げた、四人のドライバーをご紹介します。中には、ビジネス以外の分野に転身した人もいます。

ニキ・ラウダ(Andreas Nikolaus Lauda) 1949~2019年

オーストリア人。1975年、1977年、1984年の3回、F1のワールドチャンピオンに輝きました。フェラーリ、ブラバム、マクラーレンといった名門チームで活躍。

1978年(昭和53年)にラウダ航空という航空会社を設立し、1979年(昭和54年)に一度目の引退をした後は、経営に専念していました。しかし、1982年(昭和57年)にF1へ復帰します。ラウダ航空が経営難だったため、資金調達のためだったという説があります。

1984年(昭和59年)に3回目のチャンピオンに輝いた後、翌1985年(昭和60年)に二度目の引退。

以後は、ラウダ航空の代表及びパイロット(ジャンボジェットを自らも操縦!)として活動。後にラウダ航空はオーストリア航空に売却しました。

その後も、格安航空会社やビジネスジェット運行会社を設立、買収するなどし、航空業界の実業家として活躍しました。

ジョディー・シェクター(Jody David Scheckter)1950年~

南アフリカ人。1977年(昭和52年)には、F1参戦初年度のウルフというチームで、開幕戦(ウルフにとって初戦)優勝という快挙を達成しました。

1979年(昭和54年)にはフェラーリに移籍し、シーズン3勝でワールドチャンピオンに輝きました。

しかし、翌1980年(昭和55年)にはマシンが競争力を欠き、シェクターも低迷。この年限りで引退しました。

引退後は、アメリカで実業家としてビジネスの世界に飛び込みました。

警備関連、防衛関連部品、映像機器などの事業で成功し、その後会社を売却して巨額の資産を得ました。

現在はイギリスのハンプシャー州で農場を所有。有機農業ビジネスでも成功を収めています。

カルロス・ロイテマン(Carlos Alberto Reutemann )1942年~

アルゼンチン人。ブラバムで1972年(昭和47年)にF1デビュー。

フェラーリ、ロータス、ウイリアムズといった名門チームで活躍しましたが、ワールドチャンピオンには手が届きませんでした。

1982年(昭和57年)シーズン序盤に、突然引退しました。当時、母国アルゼンチンとチームの本拠地イギリスが、フォークランド紛争で激しく対立していたことが理由とされていますが、詳細は不明のままです。

引退後は、アルゼンチンで政界に進出。1991年(平成3年)には、サンタフェ州の知事に就任しました。2002年(平成14年)には、大統領候補にもなりました(大統領にはなれませんでした)。

ジョニー・ダンフリーズ(Johnny Dumfries)1958年~

イギリス(スコットランド)人。1986年(昭和61年)にロータスでF1デビュー。故アイルトン・セナとチームメイト(ナンバー2ドライバー)でした。

しかし、わずか1年でチームを去ることになりました。翌1987年(昭和62年)に、中嶋悟さんが加入することになったためです。

その後は、世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)や、ル・マン24時間レースに参戦。1988年(昭和63年)にはジャガーからル・マンに参戦し、総合優勝を果たしました。

このダンフリーズ、実はイギリスの貴族なのです。

第6代ビュート侯爵ジョン・クライトン=ステュアートの長男として生まれました。本名はジョン・コラム・クライトン=ステュアート(John Colum Crichton—Stuart)ですが、侯爵位を継承するまでダンフリーズ伯爵と称されていたため、ジョニー・ダンフリーズと名乗っていました。

先祖にはイギリス首相がいる超名門です。

ビュート侯爵(Marquess of the County of Bute)と言えば、昔の日本の「殿様」に相当します。

1993年(平成5年)にお父様が亡くなったため、第7代ビュート侯爵位を継承しました。そして、日本円で推定総資産1800億円と言われる財産も相続しました。

ちなみに、ビュート侯爵位を含む14の爵位(!)を継承したそうです。

おそらく、友人たちと酒を酌み交わしながら、

「私は若い頃、あのアイルトン・セナと一緒にF1で走っていたんだよ。」

などと、思い出話をしているのではないでしょうか。

最後に・・・。

ここまで四人の元F1ドライバーの、第二の人生について書いてきましたが、四者四様の人生です。ニキ・ラウダは昨年亡くなってしまいましたが、他の三人は今も存命です。

ダンフリーズは、他の三人とは大きく異なった人生を歩んでいますが、
あまりにも特殊な例なので、一緒に取り上げました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。