ヤンタンなどの「深夜ラジオ」にハマってました!(後編)

『ABCヤングリクエスト』も長寿番組だった!

前編では、ほぼ「MBSヤングタウン」の話題でしたが、関西の他局でも深夜放送には力を入れていました。

 

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ヘッドホンでラジオを聴く女性

 

朝日放送(ABC)ラジオの

「ABCヤングリクエスト」

は、番組名にある通りリスナーからのリクエスト曲が多く流れ、その合間にパーソナリティーのトークが入ってくるという形式でした。

「ヤンタン」と異なり、有名芸能人のパーソナリティーは確かいなかったと思います。

ABCのアナウンサー(特に若手アナ)がパーソナリティーを務めていた印象が強いです。

ヤンタンほどではありませんでしたが、こちらも長寿番組で、根強いファン層に支えられていました。

 

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『ABCミュージックパラダイス』に変わり、路線もトーク中心に!

1980年代終盤には、ヤングリクエスト(通称「ヤンリク」)から

「ABCミュージックパラダイス」

に番組名が変わり、内容も音楽中心からトーク中心へと路線変更が行われました。

私がよく聴いていたのは木曜日で、ABCの三代澤康司(みよさわ やすし)アナと久本雅美さん、「おかげ様ブラザーズ」というバンドのリーダーだった故・「きんた・ミーノ」さんという面々でした。

他にも、確か月曜日だったと思うのですが、大竹まことさん、ラッシャー板前さん、小林千絵さん(ヤンタン日曜日に以前出演なさってました)という異色トリオも面白かったです。

90年代前半の水曜日は、「誠のサイキック青年団」で北野誠さんの相方だった竹内義和さん(コラムニスト・作家)と、歌手のちわきまゆみさんのコンビがメチャクチャ面白かったです。

ちわきさんはその美しいルックスに似合わずマニアックな性格で、竹内さんの超マニアックなトークの変化球(時には暴投)を、落球・後逸することなくガッチリ受け止めてらっしゃいました。

 

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『ヤンタン』も世代交代が進んで行った!

一方、「MBSヤングタウン」も80年代後半以降、新しいパーソナリティーが次々と加入しました。

木曜日の島田紳助さんが1987年(昭和62年)に卒業となり、後釜として

「ダウンタウン」

の松本人志さんと浜田雅功さんががメインパーソナリティーとなりました。

歌手の勇直子さんや今田耕司さんを加えてのスタートでした。

そして1989年(平成元年)頃だったと思いますが、キンド館のパーソナリティーを東野幸治さんと石田靖さん、二人組女性デュオ「ベイブ」の近藤智子さんと二階堂ゆかりさんの4人が務めるようになりました。

平成の初め頃は、私も大学生となり、受験勉強からは解放されていました。

その分他の事で忙しくなり、10代の頃ほど深夜放送にのめり込むことはなくなっていました。

しかしそれでも、平均的な大学生よりはかなり聴いている方だったはずです。

大学2~3年生あたりの頃の半年ほど、ヤンタン水曜日のパーソナリティーは、当時

「劇団新感線」

の看板俳優として売り出し中の古田新太さん、まだ「めちゃイケ!」で全国区の人気者になる前の「よいこ」濱口優さんと有野晋哉さん、タレントの青木直子さんという面々でした。

この頃の「ヤン水」も、よく聴いていました。

 

社会人になってからは、深夜放送から遠のき始めた・・・。

しかし、大学を卒業して社会人になると、毎日深夜放送を聴くことが難しくなりました。

「ヤングタウン」も「ヤングパラダイス」も、ほとんど聴くことがなくなってしまいました。

ヤンタン木曜日はその頃、「シャ乱Q」のつんくさんと「FUJIWARA」の藤本敏史さん、原西孝幸さんが務めていらっしゃいました。

しかし、私は数回くらいしか聴いた記憶がありません。

つんくさんはまだブレイクする前で、藤本さんと原西さんもまだ若手の頃でした。

 

『誠のサイキック青年団』は社会人になっても聴き続けた!

社会人になってからも聴き続けたのは、前編でも触れたABCの

「誠のサイキック青年団」

だけでした。

毎週日曜日の深夜1時からの放送でしたが、日曜日の夜はなかなか寝付けず(土曜日に夜更かしして、昼近くまで寝ていたからです・・・)、リアルタイムで聴くことがほとんどでした。

この番組も途中からはタイマー録音していましたが、大抵はそのまま最後まで起きて聴いていました。

そして、録音したカセットテープも繰り返し聴いていました。

誠さんと竹内さん、そして板井昭浩ディレクターの三人が繰り広げる

「ガードレールぎりぎり」(時には完全にガードレールをこすっていました・・・)

の過激トークに、深夜にもかかわらず本気で笑ってしまったリスナーは、私だけではないはずです。

「新耳袋」シリーズなどの実話怪談本で有名な中山市朗さんも、年に1~2回出演し(主に夏の8月)、怪談を語ってらっしゃいました。

後に「新耳袋」シリーズの大ヒットでブレイクなさるのですが、書店で「新耳袋」を手に取った時、

「サイキックで怖い話をしてた人だ!」

と驚いた記憶があります。

 

一人暮らしの部屋は、AMラジオの電波が入りにくかった・・・。

この番組は1988年(昭和63年)4月から2009年(平成21年)3月まで、21年間続きました。

しかし、私が聴いていたのは1999年(平成11年)の夏まででした。

その頃、私は一人暮らしを始めたのですが、借りた部屋はワンルームマンションの3階。

市街地の中心部で、周囲に高いビルが多数建っていました。

そのため、AMラジオの電波の受信状態が非常に悪かったのです。

NHKラジオだけが、かろうじてクリアに受信できました。

FMラジオは普通に受信できたのですが・・・。

 

最後に・・・。

その頃はまだ「Radiko(ラジコ)」が存在していませんでした(泣)。

Radiko があれば、ずっとサイキックを聴き続けられたのですが・・・。

Radikoは本当に素晴らしい発明です。

私にとっては、ノーベル賞級です(笑)。

私の10代は、まさに「深夜ラジオ」と共にあったと断言できます。

50歳を過ぎた今、お気に入りの番組はRadiko で聴くことがほとんどです。

私のラジオ好きは当面続きそうです・・・。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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