『ABCヤングリクエスト』も長寿番組だった!
前編では、ほぼ「MBSヤングタウン」の話題でしたが、関西の他局でも深夜放送には力を入れていました。
最近は、若い世代を中心として「テレビ離れ」が進んでいます。テレビで放送される番組が急激につまらなくなっていること及び、ネットサーフィンやSNS、Youtubeに時間を費やす人が増加していることが大きな原因です。そんな中、「ラ[…]
朝日放送(ABC)ラジオの
「ABCヤングリクエスト」
は、番組名にある通りリスナーからのリクエスト曲が多く流れ、その合間にパーソナリティーのトークが入ってくるという形式でした。
「ヤンタン」と異なり、有名芸能人のパーソナリティーは確かいなかったと思います。
ABCのアナウンサー(特に若手アナ)がパーソナリティーを務めていた印象が強いです。
ヤンタンほどではありませんでしたが、こちらも長寿番組で、根強いファン層に支えられていました。
『ABCミュージックパラダイス』に変わり、路線もトーク中心に!
1980年代終盤には、ヤングリクエスト(通称「ヤンリク」)から
「ABCミュージックパラダイス」
に番組名が変わり、内容も音楽中心からトーク中心へと路線変更が行われました。
私がよく聴いていたのは木曜日で、ABCの三代澤康司(みよさわ やすし)アナと久本雅美さん、「おかげ様ブラザーズ」というバンドのリーダーだった故・「きんた・ミーノ」さんという面々でした。
他にも、確か月曜日だったと思うのですが、大竹まことさん、ラッシャー板前さん、小林千絵さん(ヤンタン日曜日に以前出演なさってました)という異色トリオも面白かったです。
90年代前半の水曜日は、「誠のサイキック青年団」で北野誠さんの相方だった竹内義和さん(コラムニスト・作家)と、歌手のちわきまゆみさんのコンビがメチャクチャ面白かったです。
ちわきさんはその美しいルックスに似合わずマニアックな性格で、竹内さんの超マニアックなトークの変化球(時には暴投)を、落球・後逸することなくガッチリ受け止めてらっしゃいました。
『ヤンタン』も世代交代が進んで行った!
一方、「MBSヤングタウン」も80年代後半以降、新しいパーソナリティーが次々と加入しました。
木曜日の島田紳助さんが1987年(昭和62年)に卒業となり、後釜として
「ダウンタウン」
の松本人志さんと浜田雅功さんががメインパーソナリティーとなりました。
歌手の勇直子さんや今田耕司さんを加えてのスタートでした。
そして1989年(平成元年)頃だったと思いますが、キンド館のパーソナリティーを東野幸治さんと石田靖さん、二人組女性デュオ「ベイブ」の近藤智子さんと二階堂ゆかりさんの4人が務めるようになりました。
平成の初め頃は、私も大学生となり、受験勉強からは解放されていました。
その分他の事で忙しくなり、10代の頃ほど深夜放送にのめり込むことはなくなっていました。
しかしそれでも、平均的な大学生よりはかなり聴いている方だったはずです。
大学2~3年生あたりの頃の半年ほど、ヤンタン水曜日のパーソナリティーは、当時
「劇団新感線」
の看板俳優として売り出し中の古田新太さん、まだ「めちゃイケ!」で全国区の人気者になる前の「よいこ」濱口優さんと有野晋哉さん、タレントの青木直子さんという面々でした。
この頃の「ヤン水」も、よく聴いていました。
社会人になってからは、深夜放送から遠のき始めた・・・。
しかし、大学を卒業して社会人になると、毎日深夜放送を聴くことが難しくなりました。
「ヤングタウン」も「ヤングパラダイス」も、ほとんど聴くことがなくなってしまいました。
ヤンタン木曜日はその頃、「シャ乱Q」のつんくさんと「FUJIWARA」の藤本敏史さん、原西孝幸さんが務めていらっしゃいました。
しかし、私は数回くらいしか聴いた記憶がありません。
つんくさんはまだブレイクする前で、藤本さんと原西さんもまだ若手の頃でした。
『誠のサイキック青年団』は社会人になっても聴き続けた!
社会人になってからも聴き続けたのは、前編でも触れたABCの
「誠のサイキック青年団」
だけでした。
毎週日曜日の深夜1時からの放送でしたが、日曜日の夜はなかなか寝付けず(土曜日に夜更かしして、昼近くまで寝ていたからです・・・)、リアルタイムで聴くことがほとんどでした。
この番組も途中からはタイマー録音していましたが、大抵はそのまま最後まで起きて聴いていました。
そして、録音したカセットテープも繰り返し聴いていました。
誠さんと竹内さん、そして板井昭浩ディレクターの三人が繰り広げる
「ガードレールぎりぎり」(時には完全にガードレールをこすっていました・・・)
の過激トークに、深夜にもかかわらず本気で笑ってしまったリスナーは、私だけではないはずです。
「新耳袋」シリーズなどの実話怪談本で有名な中山市朗さんも、年に1~2回出演し(主に夏の8月)、怪談を語ってらっしゃいました。
後に「新耳袋」シリーズの大ヒットでブレイクなさるのですが、書店で「新耳袋」を手に取った時、
「サイキックで怖い話をしてた人だ!」
と驚いた記憶があります。
一人暮らしの部屋は、AMラジオの電波が入りにくかった・・・。
この番組は1988年(昭和63年)4月から2009年(平成21年)3月まで、21年間続きました。
しかし、私が聴いていたのは1999年(平成11年)の夏まででした。
その頃、私は一人暮らしを始めたのですが、借りた部屋はワンルームマンションの3階。
市街地の中心部で、周囲に高いビルが多数建っていました。
そのため、AMラジオの電波の受信状態が非常に悪かったのです。
NHKラジオだけが、かろうじてクリアに受信できました。
FMラジオは普通に受信できたのですが・・・。
最後に・・・。
その頃はまだ「Radiko(ラジコ)」が存在していませんでした(泣)。
Radiko があれば、ずっとサイキックを聴き続けられたのですが・・・。
Radikoは本当に素晴らしい発明です。
私にとっては、ノーベル賞級です(笑)。
私の10代は、まさに「深夜ラジオ」と共にあったと断言できます。
50歳を過ぎた今、お気に入りの番組はRadiko で聴くことがほとんどです。
私のラジオ好きは当面続きそうです・・・。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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