道路を隔てた高層ビルと文化住宅に、格差社会を見た!

21世紀に入ってから、日本では

「格差社会」

なる言葉が頻繁に使われるようになりました。

その10年くらい前、1990年代初めまでは、日本は

「一億総中流」

という言葉で表現されてきました。

その後たかだか10〜15年ほどで、

「総中流」

「貧富の格差だらけ」

になるというのは、世界でも類を見ないでしょう。

 

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元々、日本はずっと格差社会だった!

とは言え、多くの方々がお気付きの通り、以前から日本社会に、格差は厳然と存在していました。

「自分は中流だ。」

と思っていた人たちも、大多数は上・中・下に分ければ

「下」

の部類に入っていました。

しかし、1960〜1970年代の高度成長期には、国民のほとんどが生活の質を向上させていました。

そして、1980年代中盤〜1990年代初頭までの

「バブル経済期」

には、それがピークに達しました。

要するに、貧乏人の生活が底上げされたということです。

普通に進学して、普通に働いて、生活には不自由しない・・・、そうした状況下で「一億総中流」意識が醸成されていたのです。

 

21世紀は『見えない貧困』の時代!

2023年(令和5年)の現在も、日本社会の表層だけを見れば、「格差」を実感することは意外と難しいです。

アフリカや南米の国々のように、明らかなスラム街というのはほとんど見当たりません。

街中でも、

裸足で歩いている人

上半身裸で過ごす子供

は見かけません。

しかし、

「見えない貧困」

という言葉で表現されるように、日本でも貧困に苦しむ人がいつの間にか急増しています。

表向きは、貧困のサインが見えにくいのです。

ですが、「子供食堂」や「フードバンク」に多くの人々が集まることなどからも、事態の深刻さが垣間見えます。

 

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『住宅』には、格差がはっきり表れる!

一方、格差が非常に分かりやすいのが

「住宅」

です。

東京の田園調布、兵庫県芦屋市の六麓荘に代表される高級住宅街には、瀟洒な一戸建て住宅が建ち並んでいます。

また、全国の中心部市街地には

「タワマン」

ことタワーマンションがそびえ立っています。

一戸数千万円〜数億円という高額物件も多く、私のような平民には無縁の場所です。

しかし、そうした立派な住宅からさほど離れていない場所に、築数十年ほどの長屋や

「文化住宅」

と呼ばれる古いアパートが存在していることも多いです。

同じ町の半径100 m程度の範囲内で、生活レベルが天と地ほども異なっている光景は、

「日本は格差社会である」

ことを実感させます。

 

大阪の中心部にある、典型的な高層オフィスビル!

個人的な話になりますが、数年前の一時期、大阪の中心部のある地域に、用事のため通っていました。

駅から5〜6分の辺りで、住宅と商業ビル・店舗が混在する地域です。

その周辺のシンボルであるかのように、高さ数十mの高層ビルが建っていました。

地下や1階にはコンビニや飲食店、カフェなどがテナントとして入居。

2階より上には、日本有数の大企業の支社、人材派遣会社や資格試験予備校など、様々なテナントが入っていました。

まさしく典型的なオフィスビルです。

ビルの敷地もかなり広く、関係者以外の人も敷地内を通り抜けたり、ブラブラ散策できます。

ドラマのロケ地に使われても、おかしくありません。

 

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道路を隔てた向かい側には、店舗やマンションなどが・・・。

そのビルは、東西の二方向で道路に接しています。

西側の道路は大きな幹線道路で、多くの車が行き交っています。

一方東側の道路は、片側一車線の道路です。

ビルの反対側には小さいビルや店舗、マンションなどが建ち並んでいました。

その道路は、生活道路という感じです。

ある時、用事が終わった後に、その高層ビルの周辺をブラブラ歩いてみました。

その際、高層ビルのちょうど向かい辺りに建つ、ある団体の施設とすぐ隣の若者向け洋服店の間に、中途半端な隙間があるのを目にしました。

 

近付いて覗いてみると・・・。

「マンホールとか配電盤とかがあって、そこの辺りだけスペースを空けてるのかな?」

そう思った私は、何の気なしにそこへと近付いて行きました。

すると、隙間と思っていたのは、れっきとした道でした・・・。

道といっても、幅は1mちょっと。

人が二人並んで、何とか通れるくらいです。

奥を覗いてみると、道は5〜6m続いています。

そしてその奥を曲がると、結構広い空間がありそうでした。

何かに誘い込まれるように、私は細い道を奥に進んで行きました。

そこで私が目にしたのは、非常に年季の入った

「文化住宅」

でした・・・。

 

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他の建物の奥に、文化住宅があった!

不動産や建築に詳しい方なら、

「そこは『旗竿地』だな。」

とお分かりでしょう。

細い道の部分が旗の竿、奥の土地が旗に見立てられ

「旗竿地」

と呼ばれています。

このブログの別の記事でも書きましたが、旗竿地は売れにくいのです。

 

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旗竿地のイメージ模型

 

周辺を別の建物に囲まれていることが多く、圧迫感が強い・・・。

道路沿いからは、見つけるのも困難です。

また、周囲の建物の高さや近さによっては、陽当たりが悪くなります。

そして、建物を増改築・取り壊しする際、細い道を入って行くので、工事が大変やりにくいのです。

竿の部分の道幅が2m未満だと、法律上(ここでは詳細は省きます)奥にある建物は

「再建築不可」

となってしまいます・・・。

 

住人はいそうな感じ。格差社会の一面が・・・。

私の目の前の文化住宅は、外階段が付いているタイプではありません。

1階の玄関で靴を脱いで上がり、2階の部屋の住人は階段で上へ上がるというタイプでした。

建物の玄関ドアが開けっ放しになっていたので、中に入らなくても分かりました。

「もしかすると、誰も住んでないのかな?」

と一瞬思いましたが、玄関の外には自転車が2台ほど停められていました。

どことなく生活感も感じられたので、おそらく住人はいたのでしょう。

それにしても、道路を隔てた両側に、オシャレな高層ビルと文化住宅という正反対の建物が存在するとは・・・。

これこそ

「ザ・格差社会」

だとしみじみ感じました・・・。

 

終わりに・・・。

後日、インターネットで件の文化住宅について調べてみました。

間取りは四畳半一間で、風呂なし。

トイレも共同です。

昭和感全開の物件です。

ただ、その時点で入居者募集はしていませんでした。

満室だったのか、それとも新しい入居者が来そうになかったからなのか・・・。

その4〜5年後に通りかかった際は、まだ存在していました。

今でもまだ、ひっそりと残っているのでしょうか・・・。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

興味がございましたら、こちらもお読みください。

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