こんにちは。husband(@kumafumoblog)です。
「少年ジャンプ」と言えば、週刊マンガ雑誌の中で最も売れている雑誌です。
様々な大ヒット作品を送り出し、発売元の集英社にとっては、「ドル箱」のような存在です。
一方で、読者アンケートで人気がなければ、容赦なく連載を打ち切る非情さにおいて、他のマンガ雑誌よりも厳しいことで知られています。
それは、過去にヒット作を生んだ大御所マンガ家に対しても、例外ではありません。
ここでは、そうした大御所マンガ家四人の例をご紹介します。
車田正美
ボクシング物「リングにかけろ」(1977年(昭和52年)~1981年(昭和56年))、忍者バトル物「風魔の小次郎」(1982年(昭和57年)~1983年(昭和58年))とヒット作品を連発しましたが、番長マンガ「男坂」が不振。1984年(昭和59年)32号~1985年(昭和60年)12号と、短期連載に終わってしまいました。
最終話では通常なら最終ページで「男坂 完」となりますが、打ち切りがよほど悔しかったのか、
「男坂 未完」
と書かれていました。
私は最終話をリアルタイムで読みましたが、それには気付きませんでした・・・。
しかし、翌1986年(昭和61年)に連載を開始した「聖闘士星矢」が特大のヒット作に。見事「男坂」の雪辱を果たしました。
高橋陽一
サッカーマンガの金字塔「キャプテン翼」(1981年(昭和56年)~1988年(昭和63年))は、TVアニメ化もされ、世界中で大ヒット。世界的な有名サッカー選手にも、多数のファンがいます。
また、短編ですが「100Mジャンパー」という、スキージャンプを題材にした名作もあります。
しかし、「キャプテン翼」の次の連載作品として期待された、テニス物「翔の伝説」(1988年(昭和63年)39号~1989年(平成元年)13号)が思い切りコケてしまい、約半年で連載打ち切りの憂き目を見ました・・・。
その後、高橋先生は「キャプテン翼」の続編へと戻って行かれました。
その他にいくつか作品をお書きになられましたが、ほぼ全てサッカー物です。
桂正和
SFヒーロー物「ウイングマン」(1983年(昭和58年)~1985年(昭和60年))がヒットし、1984年(昭和59年)にはTVアニメ化もされました。
しかし、その後の「超機動員ヴァンダー」(1985年(昭和60年)~1986年(昭和61年))、「プレゼントフロムLEMON」(1987年(昭和62年))と続けて短期で連載打ち切りとなってしまいました。
当時リアルタイムのジャンプ読者だった私は、SF物の「超機動員ヴァンダー」については、全く覚えていません。
「プレゼントフロムLEMON」は、演歌歌手を目指していた主人公がアイドルとしてデビューする、というような話だったことを覚えていました。
連載当初から「このマンガ、長くないかも・・・。」と思っていましたが、その予感は不幸にも的中してしまいました・・・。
しかし、1989年(平成元年)に連載がスタートした「電影少女」が大ヒット。映画、ドラマ、OVAにもなっています。
累計発行部数1400万部と、桂先生の代表作となりました。
原哲夫
空前の大ヒットとなったアクション物「北斗の拳」(原作:武論尊先生、1983年(昭和58年)~1988年(昭和63年))で、一躍人気マンガ家となられました。
ところが、続く「CYBERブルー」(原先生は作画のみ、1988年(昭和63年)52号~1989年(平成元年)32号)と、約半年で終わってしまいました。
しかし、1990年(平成2年)~1993年(平成5年)に連載した「花の慶次-雲のかなたに-」(原作:隆慶一郎先生、脚本:麻生未央先生)が大ヒット。見事に復活を遂げられました。
その後も、新潮社「週刊コミックバンチ」で「蒼天の拳」(「北斗の拳」の過去の物語)が大ヒットしました。
最後に・・・。
今までご紹介してきた皆さんは、挫折から見事復活なさった、底力をお持ちの方々です。連載打ち切りをきっかけに、表舞台から遠ざかるマンガ家は多いのです。
こうして振り返るにつけ、「少年ジャンプ」の厳しさがよく分かります。出版社にどれだけ大きな利益をもたらしてくれた作家でも、作品が不人気(それが必ずしもつまらない作品とは限りませんが・・・)なら打ち切りにしてしまうドライさは、多くのマンガ家を潰しても来ました。
しかし、それでマンガ家たちの危機感や闘争心を掻き立て、また大御所のネームバリューに頼ることなく、新しい才能を次々と取り込んでいったおかげで、今なおトップの座に君臨できているとも言えます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。