「大阪城」を英語で説明できますか?試験に出ない英語手帳(第106回)

2022年(令和4年)11月現在、少しずつではありますが、日本各地に外国人観光客の姿が戻りつつあります。

彼らの定番観光スポットの一つに、

「お城」

があります。

現在、日本国内で見学できるお城は、約200ほどだそうです。

その中でも、

「天守」(城郭の本丸に位置する、最も大きな櫓。天守閣とも言う。)

が現存しているのは、姫路城や高知城などわずか12城。

大阪府の象徴としてよく用いられる

「大阪城」

は、その中に含まれていません。

当然、上記12城の中でもわずか5城のみという、

国宝にも指定されていません。

大阪府民としても堂々と自慢できない、何とも残念なお城です。

そんな大阪城を、英語でどう表現すべきでしょうか?

 

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やはり、豊臣秀吉の説明は不可欠!

「大阪城」

「Osaka Castle」

の一択です。

1883年(天正11年)に築城開始。

但し、完成までに約15年を要しています。

造らせたのは、もちろん豊臣秀吉。

言うまでもなく戦国武将で、初めて天下統一を成し遂げた人物です。

「〜によって造られた」は、

「built by 〜」

でも通じます。

しかし、権力者自らが建築作業に携わるわけではありません。

「〜の命令で造られた」

と読み替え、

「built at the order of 〜」

とした方がいいと思います。

現在は、日本人の名前をひっくり返さず、姓+名で表記することが一般的です。

「豊臣秀吉」

「Toyotomi Hideyoshi」

で大丈夫です。

「戦国武将」ですが、

「武将」は、

「military commander」(軍事司令官)

とも訳せます。

しかし、より意味が近い英単語として、

「warlord」ˈwɔˌrlɔrd(米国英語)ˈwɔ:ˌrlɔ:rd(英国英語)

があります。

大修館書店 ジーニアス英和辞典では、

「(特に一地方の)軍事的指導者、将軍」

と日本語訳されています。

1583年時点では、秀吉はまだ天下統一を達成していません。

よって、

「a powerful warlord」(有力な武将)

あたりが無難でしょう。

「戦国時代」

は、多くのお城やお寺などの英語解説文で

「the Warring States period」

と表現されています。

「〜を完成させる」は、

「bring 〜 to completion」

です。

 

『天下統一』をどう表現する?

秀吉についてもう少し詳しく説明するなら、

「1590年(天正18年)に、初めて天下統一を果たした。」

ことは付け加えたいところです。

「In 1590, Hideyoshi became the first unifier of Japan.」

が簡潔だと思います。

「unify 」(統一する)の名詞形は

「unifier」(統一する人、統一者)

となります。

「the first unifier of Japan」

すなわち

「天下統一した人」

となります。

ちなみに、昔読んだ本では

「pacify」(制圧する、鎮圧する)の名詞形

「pacifier」

を使っていました。

 

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大阪城の運命の変遷を説明!

大阪城を取り巻く状況が大きく変わったのは、1598年(慶長3年)に秀吉が死去してからです。

1600年(慶長5年)の

「関ヶ原の戦い」

の後、徳川家康が徳川幕府を樹立。

日本の支配者となります。

豊臣家は、まだ大阪城を本拠として存続していました。

徳川幕府は、豊臣家を滅ぼそうと、

1614年(慶長19年)に「大坂冬の陣」

1615年(慶長20年)に「大坂夏の陣」

を仕掛けます。

大坂夏の陣で、大阪城は落城。

豊臣家は滅亡しました。

その際、天守は焼失してしまいました。

その後、徳川幕府第二代将軍の徳川秀忠の命により、二代目の天守建築が行われました。

しかし、1665年(寛文5年)に落雷により焼失。

英語表現についてですが、

「関ヶ原の戦い」は、

「the battle of Sekigahara」

です。

「徳川家」

「the Tokugawa clan」

と表現できます。

「clan」klˈæn(米国英語)]は、上記のジーニアス英和辞典によると、

「一家、一門、一族」

といった意味を持ちます。

「徳川幕府」

「the Tokugawa shogunate」

と表現します。

「shogunate」ʃóʊgənət(米国英語)ʃˈəʊgənət(英国英語)]は

「幕府」

を意味します。

「天守(閣)」

「dungeon」dˈʌndʒən(米国英語)

となります。

「落雷により焼失」は、

「burned down because of a thunderbolt」

と表現できます。

 

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江戸城の遠景

 

現在の天守閣は『レプリカ』!

その後270年近く経過した1931年(昭和6年)に、当時の大阪市長の提案により、復興天守の建築が竣工。

現在の大阪城天守閣は、三代目にあたります。

しかも、残念ながら

「鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)構造」

なのです・・・。

一応

「登録有形文化財」(registered tangible cultual property)

となっています。

しかし、姫路城などの

「国宝」(national treasure)

と比較すれば、全く有難みがありません。

通訳ガイド(通訳案内士)試験の参考書には、

「replica」(レプリカ)

という、身も蓋もない直球の表現をしている本もあります。

 

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英文にすれば、こんな感じ?

「Osaka Castle was built at the order of Toyotomi Hideyoshi, who was a powerful warlord.
The construction started in 1583. However, it took about fifteen years to bring the work to completion.
In 1590, Hideyoshi became the first unifier of Japan.
After the death of Hideyoshi, the Tokugawa clan seized the ruling power of Japan, by winning the battle of Sekigahara in 1600.
In 1620, as a result of the battle between the Tokugawa shogunate and the Toyotomi clan, the dungeon of Osaka Castle was burned down.
In the 1620s, the second shogun Tokugawa Hidetada ordered the construction of a new dungeon.
However, about forty years after, the new dungeon was burned down again because of a thunderbolt.
About two hundred seventy years later, in 1931, the city of Osaka began constructing the new dungeon.
It was very disappointing that the new dungeon was made of SRC(steel encased reinforced concrete).
The current dungeon is a replica, to be blunt.
It is of course not a national treasure, unlike Himeji Castle in Hyogo prefecture.
However, it is registered as a tangible cultural property.」

「大阪城は、有力な戦国武将だった豊臣秀吉の命令で築城された。
    1583年に築城が始まった。しかし、工事の完成には約15年を要した。
  1590年、秀吉は最初に天下統一を果たした。
  秀吉の死後、徳川家が1600年の「関ヶ原の戦い」に勝ち、日本の支配権を握った。
  1620年に、徳川幕府と豊臣家の戦いの結果、大阪城天守閣は焼失した。
  1620年代に、徳川第二代将軍の徳川秀忠が、新しい天守閣の建築を命じた。
  しかしその約40年後、新しい天守閣は落雷により再び焼失してしまった。
  約270年後の1931年、大阪市は新しい天守閣の建築を開始した。
  しかし残念なことに、天守閣は鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)造だったのだ。
  現在の天守閣は、有り体に言えばレプリカである。
     大阪城は兵庫県の姫路城とは違い、もちろん国宝ではない。
     しかし、登録有形文化財には指定されている。」

こんな感じで英語にしてみました。

 

最後に・・・

私は今から40年以上前、小学生の頃に初めて大阪城に行きました。

その時は、天守閣最上階からの眺めに、喜んだ記憶があります。

その後は、30年ほど大阪城とは御無沙汰していました。

40歳を過ぎた頃、用事で近くまで来たついでに、大阪城天守閣に行きました。

しかし、昔と違い

「大阪城って、こんなに小さかったかな・・・。」

と、ガッカリしてしまいました。

最上階で、大阪市内を見下ろしても、残念ながらさしたる感慨も起きませんでした。

「あんまりパッとしなかったな・・・。」

それ以来、一度も大阪城天守閣には足を運んでいません。

3年後の2025年、大阪では「大阪万博」が開催される予定です(今のところ)。

主催者の大阪府・大阪市は、多くの外国人観光客を見込んでいます。

しかし、本当に外国人観光客が大阪に押し寄せるでしょうか?

そして、大阪城見物にやって来るでしょうか・・・?

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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