京大で「変人講座」?教育から変人は生まれない!

皆様は

「越前屋俵太」

というタレントさんをご存知でしょうか?

若い世代にはなじみが薄いでしょうが、40~50歳代の方々、特に関西地方の方々にはなじみ深い名前です。

元々関西を中心に活動なさっており、1990年代には関西のテレビ・ラジオ界で活躍なさっていました。

現在も放送中の

「探偵!ナイトスクープ」

で探偵を務めたり、書家の榊莫山先生のパロディー

「俵越山」

として書を書いたり・・・と、幅広い分野で活動なさっていました。

21世紀に入りほとんど姿を見かけませんでしたが、昨年あたりから、関西の朝日放送(ABC)で月曜日~金曜日の夕方に放送しているニュース番組「キャスト」に、金曜日のコメンテーターとして登場なさるようになりました。

その際の肩書きに

「京都大学 変人講座」

とあり、

「変人講座って何だ?」

と首をひねりました。

 

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『変人講座』は、京都大学の授業の一つだった!

それからしばらくは、そのことについて全く気にも留めていませんでした。

ようやく今年に入ってから、インターネットで「変人講座」について検索してみました。

東京大学と並ぶ天下の名門、京都大学で行われる授業の一つで、いわゆる

「般教(一般教養)」

の科目らしいと分かりました。

ある教授が中心となり、京大の先生の研究分野の中でも一風変わった、他の学者が注目しない、あるいは手を付けない分野、要するに

「役に立つかどうか分からない」

研究テーマについて紹介するという内容です。

俵太さんは「変人講座」のいわばナビゲーターで、各回の授業(オンラインでも配信されたそうです)について、一般人・部外者の目線から噛み砕いて語っていくという役回りでした。

 

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アホなこと、ムダなことから革新的な発想は生まれる?

発起人の教授によると、

「世の中を大きく変えるイノベーション(技術・社会制度などの革新)は、ただ普通に真面目に研究していれば生まれるものではない。周囲から見れば『何をしょうもない、アホなことやってるんや?』と思われるような研究がきっかけで、イノベーションが生まれることが多い。」

とのことでした。

例として、携帯電話にカメラ機能が付いたことが挙げられていました。

電話にカメラ機能を追加するというのは、一見無駄なことでした。

しかし、女子高生の間で携帯電話のメールに写真を添付する

「写メール」

が大ブームとなりました。

また、携帯のカメラで情報コードを読み取る

「QRコード」

が誕生しました。

そこから更に

「キャッシュレス決済」

へとつながって行った経緯が語られていました。

今まで行われた講座のタイトル名だけ見ても、確かに独特なテーマが並んでおり、

「こんな変わった研究でも、京大だったら許されるんだな・・・。」

と感心しました。

 

変人は育てて生まれるものではない!

これで「変人講座」の謎は解けた(大げさでスイマセン)!

めでたしめでたし・・・でお開きとしたいところですが、一つだけ言いたいことがあります。

それは

「変人を教育によって生み出すことはできない!」

ということです。

もし、これからの京大生及びその他の大学生、あるいは高校生に対して「変人を育てる」教育方針を実行したとしても、そうした試みは全くの徒労に終わると確信します。

なぜなら、「変人」とは

「なる」ものではなく

「いる」存在だからです。

変人になろうと思って努力した結果、変人に「なった」という人はいないはずです。

生きてきた結果、どこかの時点で変人として「存在している」のです。

「変人講座」ナビゲーターの俵太さんも、タレントとして活動するために変人になったのではないでしょう。

タレントになった時点で、既に「変人だった」はずです。

「アホなことをしよう!」

と考えて行動する人間は、エセ「アホ」にはなれても、本当の「アホ」には決してなれないのです。

 

本物の変人は、変人であるという意識がない!

本物の「変人」は、自分が変人であるという事実に気付いていません。

むしろ自分は「普通」の人だと信じており、

「世の中って、変わった人が多いよな・・・。」

と常日頃思っているくらいです。

はっきり言えば

「一人天動説」

のような人間こそ、真の変人です。

世間には結構

「俺って変わり者だからさ・・・。」

「あたし、よく友達から『不思議ちゃん』って言われるの。」

などと「変わってる」アピールをする人がいますが、そういう人は大して変わっておらず、普通の人に分類されます。

 

変人は養殖できない。天然素材から探すしかない!

京大「変人講座」の目指す目標は理解できますし、面白いと思います。

しかし、あまり最初から「変わったこと」、「変わった人」を目標にしてしまうと、結局は養殖物の

「変人もどき」

が生まれてしまいます。

本当の変人は、天然素材から見つけ出さなければなりません。

私は今までの人生の中で、「真の変人」を数人知る機会がありましたが、そういう人たちはとりたてて「変人オーラ」を漂わせていません。

社会的常識も身につけ、普通に対人関係を築ける人たちです。

しかし、どこかが決定的に一般人とは違います。

言動の端々から「変人風味」が漏れ出てくるのです。

善人ぶっている人からドス黒い本音が出る、といった類ではありません。

自分は「地動説」を信じているつもりですが、実は他人から見れば

「それこそ『天動説』だよ・・・。」

という思考回路・行動様式なのです。

教育によってどうこうできない領域に辿り着いた

「選ばれし民」

が変人であり、

「気が付いたら変人と呼ばれていた」

人々です。

 

最後に・・・。

最近、京大のみならず日本の各大学が

「個性的な人材」

という言葉をよく用い、そうした人材を教育で増やしていこうという試みに取り組んでいます。

しかし、むしろそうした点にこだわらない方がいいと思います。

学生や研究者には自由気まま、なすがままにやらせる方が、個性的な人材を育てられるはずです。

また、短期的な結果にあまり気を取られないようにすべきでしょう。

「変人」が「偉人」になる確率は低く、もしなるにしても長い年月を必要とします。

この記事をお読みの貴方がもし日頃

「自分って、つまらない凡人だよな・・・。」

と思ってらっしゃるなら、貴方は「変人」の可能性があります。

今後、何かの分野で革命的な事を成し遂げることになるかも・・・。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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