今回ご紹介する映画
「ジョニーは戦場へ行った」(原題:Johnny Got His Gun)
は、1971年(昭和46年)に公開されたアメリカ映画です。
日本では約2年後の1973年4月に公開されました。
実はこの映画は、脚本・監督のダルトン・トランボ(Dalton Trumbo)が1939年(昭和14年)に出版した小説の映画化です。
自身が32年前に書いた小説をなぜ映画化したかについては、後で詳しく説明します。
主人公のジョーは平凡なアメリカ青年だったが・・・。
主人公のジョー・ボーナム(Joe Bohnam)は、アメリカの平凡な白人青年でした。
カリーン(Kareen)という恋人がいましたが、第一次世界大戦の最中にアメリカ軍に徴兵されます。
そして戦地へと赴きました。
ある日、戦闘の途中で大怪我を負い、目と鼻と口と耳を失ってしまいます。
ジョーは病院へと搬送されますが、両腕と両足も壊疽していたため、切断されてしまいました。
視覚・嗅覚・言語・聴覚の全てを失い、両腕・両脚もないジョーは、移動もできなければ自分がどこにいるかも分かりません。
言葉を発することもできず、音や言葉を聞くこともかないません。
ジョーは病院の人たちに、意識があることを分かってもらえるのか?
ジョーはかすかに動く首と頭を振って、周囲にいる(ジョーには姿も声も分からない)はずの人たちに、自分には意識があることを何とか分かってもらおうとします。
しかし、病院の医師・看護師や軍人たちは、ジョーをただ「死んでいない」だけの「生き物」のように認識しており、ただ鎮静剤を注射するのみです。
その間、ジョーの意識は時に鎮静剤によって混濁し、過去の記憶と現在の状況の間を行ったり来たり揺れ動きます。
ジョーは病院の人たちに、自分はただ生きているだけの「物体」ではなく、意識があることを分かってもらえるのでしょうか?
そして、彼らとコミュニケーションを取ることはできるのでしょうか?
現実はモノクロ、夢や幻覚はカラーという対比が強烈!
ネタバレを防ぐため、これ以降の物語の詳細を書くのは止めておきます。
ちなみに、映画ではやむを得ず第三者的・客観的な視点の映像になりますが、小説では主人公ジョーの意識による独白、つまり一人語りの形式で描かれています。
ジョーはベッドの上でシーツをかけられたままで、顔もフェイスシールドで覆い隠されています。
そして身体はいくつものチューブで繋がれ、事実上単なる肉の塊という状態です。
そんなジョーの現在の場面は、モノクロで映し出されます。
反対に、ジョーの意識(夢または幻覚)の中の場面はカラーになります。
家族や恋人との思い出のシーンは、モノクロからカラーに切り替わるので、観客に強烈な印象を与えます。
そして、場面が現在の病室に戻ると、モノクロの画面が一層暗い感じに思えてしまい、ドンヨリした気分になってしまいます。
ヨーロッパの鬼才も、同様の映像手法を使っていた!
この「現実はモノクロ、夢はカラー」という手法を加工し、効果的に用いた作品があります。
デンマークの鬼才、ラース・フォン・トリアー監督による映画
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(原題:Dancer in the Dark、2000年(平成12年)日本公開)
です。
この作品で、主役を演じるアイスランドの歌姫ビョーク(Bjork)が空想の中で歌い踊るシーンは、当時最新鋭の高性能カメラで撮影され、非常に美しい映像です。
反対に不幸な現実は、手持ちのカメラで撮影されるので画面がかなりブレ、映像もどちらかと言えば暗い感じです。
主人公がどんどん不幸になっていく過程で、空想の中で明るくミュージカルの主役を演じる部分が、より悲しさを引き立てます。
戦闘シーンがほとんどないが、戦場の恐怖を突き付けて来る反戦映画!
話が少し脱線してしまい、すいません。
夢や幻覚のシーンで登場するジョーを演じるのは、ティモシー・ボトムズ(Timothy Bottoms)という俳優で、この作品で映画デビューしました!
そのルックスが、いかにも幸せそうな典型的アメリカ青年なだけに、現実のモノクロシーンで病室のベッドに寝かされ、「生かされている」ジョーの哀れさが際立ってしまいます。
我々がよく観る戦争映画では、兵士が負傷したり死んだりするシーンは普通にあります。
ただ、ほとんどは割と綺麗な姿で血を流したり、死んだりしています。
しかし、実際の戦争においては、ジョーのような姿で死ぬか、手足を失ったり視力や聴力を失ったりという悲惨な目に遭う確率は、決して低くありません。
テレビゲームのように、倒されて死んでもリセットボタンを押してまた再開!というわけにはいきません。
この作品は、激しい戦闘シーンがほとんどないに等しい、「静かな」映画です。
しかし、
「戦争で戦うというのは、こういうことなんだ!」
というのをまざまざと見せつけられます。
「自分ももし戦争にいったら、こんな風になるかも・・・。」
という恐怖を実感します。
この映画を観た後も
「自分は国のためなら喜んで戦場に行き、敵と戦う!」
と自信を持って言える人がいたら、「鋼の心」の持ち主だと断言します。
原作者のダルトン・トランボは、波瀾万丈の生涯を送った!
ちなみに、原作・脚本・監督のダルトン・トランボは、第二次世界大戦中の1943年にアメリカ共産党に入党しました(後に脱退)。
第二次大戦の終結後、アメリカでは共産主義者への弾圧運動(「赤狩り」と呼ばれました)が勢いを増し、トランボを含むハリウッドの映画人19人が下院の聴聞会に召喚されました。
しかしトランボを始めとする10人は、
「あなたは共産党員か、かつて共産党員だったか?」
などの質問への証言を拒否し、議会侮辱罪で禁固刑となりました。
彼ら10人は、「ハリウッド・テン」と呼ばれました。
トランボは刑務所で10ヶ月(1年の刑期だったが、模範囚として減刑されました)服役し、出所後は偽名で脚本家の仕事を続けました。
その後、1956年(昭和31年)に偽名で原案を提供した
「黒い牡牛」
が、翌1957年(昭和32年)のアカデミー賞で原案賞を受賞したのです。
トランボはもちろん授賞式には出席しておらず、大騒ぎとなりました。
以降、実はトランボが原案者だとの噂がハリウッドで広まりました。
トランボは以後もヒット作の脚本を手がけ、ついには実名でハリウッド復帰を果たしました。
そして、1971年に「ジョニーは戦場へ行った」を映画化したのです。
当時はベトナム戦争の最中だったこともあり、アメリカ国内ではヒットしませんでした。
しかし、フランスのカンヌ国際映画祭で「審査員特別グランプリ」を受賞するなど、国際的には高い評価を受けました。
最後に・・・。
トランボのような経歴の人は、間違いなく「ガチ」の人です。
そうした人が作った映画は、これまた間違いなく骨太の作品になります。
「ジョニーは戦場へ行った」は、小説・DVDとも現在も入手・レンタル可能です。
小説・映画の両方とも、自信を持ってお勧めできる作品です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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